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「シルクロード」という言葉を聞いて、どんな事を思い浮かべますか。

西域、沙漠、遊牧の民

一般的に「シルクロード」と言えば、中央アジアを中心とした東西世界をつなぐ交易路というイメージがあると思います。


ところが、日本にも絹を運ぶ商人がさかんに行き来した道があり、「絹の道」と呼ばれています。

それが今回ご紹介する東京都八王子市の「絹の道」です。
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八王子の「絹の道」が使われたのは幕末明治期というごく短い間だけでした。

当時の呼び名は「浜街道」。

嘉永6年(1853)のペリーの来航の後、開国した日本の最大の輸出品目は生糸、つまり絹でした。

多摩地域でさかんに生産されていた生糸は、この浜街道を通って横浜に運ばれ、外国商人に買い集められました。

横浜への生糸の積み出しに活躍したのが、現在の八王子の鑓水(やりみず)にいた鑓水商人たちでした。

現在、鑓水には「絹の道資料館」が建っています。
敷地はかつての鑓水商人、八木下要右衛門家の屋敷地だったところです。
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絹の道資料館をでてすぐ、三叉路を右に行くと絹の道です。

この三叉路には、絹の道がにぎわうよりも前、文化11年(1814)銘のある秋葉大権現の石塔や寛政10年(1798)銘のある庚申塔などが建っています。

それらの石碑の脇には、大正から昭和にかけて計画された「南津電気鉄道」の幻の駅「鑓水停車場」の文字が刻まれた石碑があります。昭和天皇の即位を記念した「御大典記念」と記されたこの碑は、計画だけに終わったこの線路をしのぶ事ができる唯一の碑です。
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絹の道に入ります。

当時、多くの商人が行き交ったこの道も、現在はさびれた散歩道となっています。

東京都で唯一、文化庁の『歴史の道百選』に選ばれ、また一部が八王子市の史跡に指定されていることもあり、都市化が進む中にあって周辺の山林とともに保存され整備されている区間があります。

U字型にくぼんだ道の形が、かつてのさかんな往来の様子を伝えています。
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道の路面の現状は、このように礫で覆われています。

現在整備されている区間は、全体にわたってこのような状況です。
当時から礫敷きだったかは分かりません。

次回は道了堂などをご紹介します。

【参考文献】
馬場善信 2001 『浜街道 「絹の道」のはなし』 かたくら書店新書