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大木囲貝塚(だいぎがこいかいづか)は、宮城県七ヶ浜町に所在する縄文時代の貝塚です。

松島湾をのぞむ標高35mほどの丘陵上に立地しており、東西210m、南北260mにわたって貝殻の層が広がっています。

縄文時代前期から中期にかけての貝塚で、発掘調査によって12個のまとまりから構成される馬蹄形の貝塚である事がわかっています。


上の写真は、遺跡に建つ大木囲貝塚の石碑。
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いま、大木囲貝塚は史跡公園になっています。


この貝塚は、日本考古学の歴史にとって重要な遺跡です。

1917年、東北帝国大学教授だった松本彦七郎によって発掘調査が行われました。
この調査で導入されたのが「層位的発掘」。

地層を細かく分けて調査し、下の層で発見された土器はその上の層で発見された土器より古いという原則にのっとり、出土遺物の新旧関係を論じました。

松本は、おなじく宮城県の里浜(さとはま)貝塚や岩手県の獺沢(うそざわ)貝塚の調査などを経て、層位的発掘調査の成果に基づいた縄文土器の型式編年を提示することになります。

松本によるこれらの調査は、遺跡に対する科学的な発掘調査方法の基礎となりました。


また、この松本彦七郎に大きく影響を受けた山内清男(やまのうちすがお)によって1927年に発掘が行われました。

山内は詳細な分層発掘を行い、出土した縄文土器を大木1・2a・2b・3・4・5・6・7a・7b・8a・8b・9・10式の13型式に分ける編年を提示しました。

これが基礎の1つとなり、のちの山内による全国的な縄文土器編年の研究に昇華します。


黎明期の日本考古学にとって重要な調査・研究が行われたのが、この大木囲貝塚です。
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ここが、山内清男が発掘調査した地点。

北方には、松島湾の海が見えます。
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現在は広く盛り土がされ芝生で覆われていますが、ところどころ土が露出している場所では貝や土器などが見られます。

上の写真は、縄文土器片や獣骨など。
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こちらは魚骨。

縄文人におおくの海の幸をもたらした松島湾は、いまも豊かな魚介類の産地となっています。
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遺跡に隣接して、七ヶ浜町歴史資料館があります。

大木囲貝塚の出土品など、貴重な資料が多数展示してあります。