きょうは、北区中里3丁目で行われた、中里峽上遺跡(なかざとはけうえいせき)の現地説明会に行ってきました。 中里峽上遺跡は縄文時代から江戸時代にかけての複合遺跡で、台地上に立地しており、北西には古代の役所跡である豊島郡衙(としまぐんが)跡とされる御殿前遺跡があり、台地の北東下には縄文時代の貝塚である中里貝塚があります。 今回の発掘調査では、 弥生時代の竪穴住居跡2軒、 古墳時代の竪穴住居跡8軒、 奈良・平安時代の竪穴住居跡3軒、 中世以降の礎石建物2棟や掘立柱建物数棟、 などが発見されています。

こちらは、奈良時代の竪穴住居跡である19号住居跡。 かなり近世・近代の土坑等による破壊を受けていますが、なかなか大きな住居跡です。 土師器(はじき)や須恵器(須恵器)といった土器が多数出土しています。

こちらでは、3軒の時代が異なる竪穴住居跡が重複して発見されています。 中央奥の11号住居跡は弥生時代、 調査員の方が立っていらっしゃる手前左側の5号住居跡は古墳時代後期、 右側の6号住居跡は古墳時代末から奈良時代、 となっています。

このうち、古墳時代後期(7世紀)の5号住居跡は、非常に規模の大きな竪穴住居跡です。 一辺9m四方ほどもあり、面積は約85平方メートル(畳で例えるとおよそ52畳)で、北区で発見された古墳時代の竪穴住居としては最大規模のものです。 この竪穴住居跡で興味深いのは、住居を廃棄する際に建物の柱を抜き取っている事です。 柱抜き取りの痕跡が確認されたほか、床面上から柱の抜き取り穴を掘る際に出た排土も確認されました。

こちらは出土品の展示コーナー。 特筆される出土品としては、弥生時代の竪穴住居跡から出土した底面に線刻の施された土器や、古墳時代後期の竪穴住居跡から出土した静岡県東部の特徴を持つ土器などが挙げられます。

当日は、朝に東京でも雪が降った所もあったそうで、天気が心配だったのですが、13時からの見学会の時間には晴れて青空も見えていました。 見学者も開始時間には20人程度でしたが、次第に増えていって、私が帰った13時40分ごろには60~70人ほどになってました。
中里峽上遺跡では、別地点の過去の調査で、平安時代の竪穴住居跡から扉の痕跡が発見されて注目されています。
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当ブログ2010年2月20日の記事『竪穴住居の「ドア」』
http://blogs.yahoo.co.jp/tramping826/50241888.html
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当ブログ2010年2月20日の記事『竪穴住居の「ドア」』
http://blogs.yahoo.co.jp/tramping826/50241888.html