
きのうは、久しぶりに鎌倉の海岸を歩いてきました。 この日、日中は晴れて気温も高かったのですが、朝の空はまだ曇っていて、鈍色の水面に光が沈んでいました。 砂浜に打ちあげられている、青磁等の陶磁器片を探しながら、東の和賀江島のほうへ歩きます。

あれっ!? 和賀江島の石碑がありません。 たしかこの岩の上に建っていたのですが……。 石碑は、大正時代に地元青年団によって建てられたもので、日本最古の築港遺跡として和賀江島の由来について書かれていました。 気になって、帰宅後にインターネットで調べてみると、どうやら去年の台風の時に倒れてしまったそうです。 いまは鎌倉市によって回収・保管されているそうです。

今回、材木座海岸と、滑川対岸の由比ヶ浜を歩いて拾った陶片。 青磁片が5つ。 鎬蓮弁が確認できます。 中国南宋の龍泉窯のものです。 上段真ん中2つの陶片は、戦時中につくられた、いわゆる「統制陶器」です。 いずれも碗だと思われます。 高台内に統制番号が記されています。 左は「岐270」、右は「瀬211」。 「岐」は岐阜、「瀬」は瀬戸で作られたことを示し、数字は生産者の登録番号です。 「岐270」は、昭和16年に作成された岐阜県陶磁器工業組合連合会の『生産者別標示記號』を参照すると、生産者は西南部陶磁器工業組合に所属する笠原町本郷のマルセ(○にセ)製陶所であることが分かりました。 一番左は、富士山が描かれているので、思わず拾ってしまいました。 なんだかめでたい。
「岐270」の統制陶器ですが、
千葉で漂着物採集をされているこちらのサイトで、そっくりな物の写真が掲載されています。
千葉で漂着物採集をされているこちらのサイトで、そっくりな物の写真が掲載されています。
「瀬211」は、多くの統制陶器を収集し整理されている、こちらのサイトで類似の資料が掲載されています。
【参考文献】
沼崎陽 1999 「戦時下の『生産者別表示記號(いわゆる統制番号リスト)』を実見して」『東京考古』第17号
沼崎陽 1999 「戦時下の『生産者別表示記號(いわゆる統制番号リスト)』を実見して」『東京考古』第17号