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先日、2月7日に開催された、「東京都遺跡調査・研究発表会」に行ってきました。


面白い報告がありました。

北区にある中里峽上遺跡(なかざとはけうえいせき)で発見された、竪穴住居の扉板に関する報告で、とても興味をひかれました。


中里峽上遺跡は、北区中里三丁目にある遺跡で、荒川下流域右岸の台地上に立地しています。
ちょうど、山手線の駒込駅と田端駅の中ほどにあります。

同じ台地上の北西約300mには、古代の豊島郡衙跡(地方の役所跡)と推定されている御殿前遺跡があります。

この中里峽上遺跡では、これまでの調査で、まとまった量の瓦や瓦塔、「寺」字の墨書土器、銅碗などが出土しており、豊島郡衙に関連した「郡寺」の可能性があるのではないかと見られています。
また、この他にも畿内系土師器や鉄製帯金具など興味深い遺物が出土しています。


2009年の調査では、出土土器から平安時代(9世紀第2四半期~9世紀中頃)と推定される大型の竪穴住居跡が見つかりました。

竪穴住居跡の北側にカマドがあり、その両側には棚状の段が設けられています。カマドと棚は、スサ(ヒビ割れを防ぐために混ぜるワラなどの植物繊維)入りの粘土で補強されています。

入り口はカマドに向かって右手(東側)にあり、スロープ状の傾斜が設けられていて、大きな段差なく建物内に出入りできるような構造になっています。


この竪穴住居跡は火災によって消失したもので、火を受けて炭化した木材が多量に見つかり、屋根に使われたとみられる炭化材が放射状に広がるような状況が確認されました。


この炭化材の下から、扉板がみつかりました。

見つかったのは出入り口前の住居内の床面で、2枚の扉板が倒れていました。
さらに屋外側に閂(かんぬき)の金具が付けられており、この扉は内側に向かって開く観音開きで外側から施錠されるような構造であったとみられています。

扉板はヒノキの一枚板。
長さ145cm、幅50cm、厚さは推定3cm。

外側からカンヌキがかかるような構造ですから、「竪穴住居跡」とはいっても人が住んでいたとは考えられません。

この「竪穴住居跡」からは、多くの鉄製品、鉄滓(「てつさい」鍛冶関連の鉄のカスです)、鍛造剥片などの鍛冶に関係した遺物が出土しており、鍛冶に関係した「工房」だったのではないかと考えられています。ただし、鍛冶に用いたであろう炉は見つかっていません。

以上のことから、この竪穴住居跡は、豊島郡衙に関係した工房と推定されています。


この扉板の発見は、古代における竪穴住居の構造を考える上で非常に貴重な資料であるといえます。

ただし、豊島郡衙跡に近く、この遺跡じたい郡衙に付属した「郡寺」の存在が推定される遺跡であり、かつ外側からカンヌキのかかる工房跡と推定される事などを合わせて考えると、この竪穴住居跡とその扉板は特殊な要素を含んでおり、古代の一般集落などにおける竪穴住居とは性格が異なる事には留意しなければなりません。

今後は、都城・国府・郡衙・城柵・寺院など他の古代遺跡でも、建物跡にこのような「扉」があるのかどうか、これからの調査でその可能性を探るのはもちろんですが、過去に報告された炭化材にも扉状の板材が無いかどうか、再検討する必要があると思います。

【参考文献】
合田芳正・土屋健作 2010 「北区 中里峽上遺跡」『東京都遺跡調査・研究発表会35発表要旨』 東京都教育委員会

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『東京都遺跡調査・研究発表会35発表要旨』P13の調査区全体図から1号住居(SI01)を抜き出し、「ペイントツールSAI」でトレースし着色、Adobe Photoshop Elements6.0で文字を入れました。
トレースはやや粗く行いましたので、線は少しずれているかもしれません。