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2日目は、福岡県東部、行橋市津積にある遺跡、御所ヶ谷古代山城へ行きました。


御所ヶ谷古代山城は、およそ7世紀ごろに築かれたとみられている神籠石系山城です。
畿内政権(大和朝廷)が白村江敗戦後、国土防衛のために築造したと見られていますが、『日本書紀』や『続日本紀』などの史書には記録がなく、はっきりとしたことは分かっていません。


遺跡は、瀬戸内海へ連なる周防灘に望む京都平野の南西にあり、標高246.9mのホトギ山の北西部に立地しています。


全長約3kmにわたって土塁や石塁で囲んでいます。
城内には2つの大きな谷やホトギ山山頂を取り込んでおり、最高点である山頂と最低点である西門(標高65m)との標高差は180m以上もあります。


①番目の写真は、北側の平野部から見た、御所ヶ谷古代山城のあるホトギ山。
菜の花が綺麗でした。
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城門は7箇所あり、中門・西門・第二西門・南門・第二南門・東門・第二東門が確認されています。


②番目の写真は、中門跡です。


中門は御所ヶ谷古代山城の中でも最も大規模な石塁が残されており、大きく谷を遮断しています。


門西側の石塁は長さ約18m、高さ約7m、二段に築造されています。


写真中央下半が一段目の部分で、その上が2段目の部分。
ちょうど一段目の高さは、人の背丈ほどの高さです。
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③番目の写真。中門西側の石塁を正面から。


石塁は横長の綺麗な切石を隙間なく積んだ整層積みで堅固なものですが、上部はやや隙間があって一部重箱積みになっており、もしかしたら後世に積み直されているのかもしれません。


石塁には水門跡が残されています。
写真中央左寄りに開口しているのが水門です。
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水門のアップ。


水門は暗渠式になっており、石塁外側に「凹」字形に突出しています。


通水溝の幅は約50cm、突出する石樋全体は横幅約110cmほどです。
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石塁の西端あたりから中門を見下ろしてみました。


石塁は北西(写真手前)に向かって緩やかな曲線を描いています。


遺跡の調査報告書でも触れられているように、このように門の東西が外側に張り出している事で、門に迫る敵に左右から矢を射掛ける事ができるような構造となっています。


急角度で立ち上がる残存高7mという石塁や、門の東西が外側に張り出す構造は、ともに中門の持っていた防御的機能の高さを感じさせます。


写真左奥が中門の開口部。
発掘は行われていないので、門礎などは見つかってません。
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これは、石塁の裏側(城内側)の様子。


内側にも石積みはありますが、割石の粗い野面積みです。


なんだか、いいかげん。


写真中央やや右下に穴が開いてますが、ここが先ほどの水門の石樋につながっています。
現在でもチョロチョロと水が流れています。
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石塁の上に登り、北方を眺めてみました。


遠く平野部まで見下ろせます。


御所ヶ谷古代山城の位置等については、また別個に掲載します。





【参考文献】
小川秀樹 1998 『史跡御所ヶ谷神籠石』(行橋市文化財調査報告書第26集) 行橋市教育委員会
小川秀樹 2006 『史跡御所ヶ谷神籠石Ⅰ』(行橋市文化財調査報告書第33集) 行橋市教育委員会