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宋山里古墳群は、忠清南道公州市錦城洞に所在する百済の熊津時代の古墳群で、錦江南岸の丘陵上に20基あまりの古墳が確認されています。


①枚目の写真は、手前から1~4号墳。


これら1~4号墳は、穹窿式の天井を持ち、塼を用いない片袖式横穴式石室を持つ古墳で、熊津遷都(475年)後まもないころに築造されたと見られています。


このうち4号墳では、玄室の西壁で床面から1.5mの高さの所に5本、南壁で2本、東壁で3本の鉄釘が発見されています。これは、何か幔幕のようなものをかけるのに用いられたのではないかと見られています


同様の物は、高句麗の壁画墳や、新羅の於宿知述干壁画墳、日本の藤ノ木古墳などでも見つかっています。
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この宋山里古墳群で最も有名なのが、武寧王陵です。


武寧王(在位501~523年)は、百済第25代の王で、それまで首都であった漢城(ソウル)を奪われるなど混乱していた百済を安定させ、中国南朝の梁や倭国と積極的に通交した人物です。


この武寧王陵は、1971年に5・6号墳に対する漏水防止のための暗渠工事中に偶然見つかりました。


古墳は未盗掘の塼築墳で、直径20mの円墳。
天井は穹窿式で、使用されてている塼は美しい蓮華文で飾られています。


画期的だったのが、羨道で発見された2枚の墓誌石。


うち1枚には、

「寧東大将軍百済斯麻王年六十二歳癸卯年五月丙戌朔七日壬辰崩到」

との文字が刻まれており、この古墳が武寧王(「武寧王」は斯麻王のおくり名)の墓であることが判明したのです。古墳の確実な被葬者が判明した貴重な例です。


古墳の副葬品としては、鏡と青磁が注目されます。


武寧王陵で発見された鏡のうち、薄肉刻七獣帯鏡と呼ばれるものは、日本の群馬県綿貫観音山古墳や滋賀県三上山下古墳などで出土した鏡と同型の鏡であることが確認されています(樋口1978)。


また、青磁は9点出土しており、広口蓮弁文六耳壺2点や盤口長頸四耳壺1点などがあります。
非常に特徴的で珍しい特徴を備えており、中国越州窯で焼かれた可能性が高く、しかも数の少ない貴重な物だったと見られています(三上1978)。


これらの副葬品は、いずれも中国からもたらされた物と見られ、中国との通交に強い関心を持っていた武寧王らしい遺物といえます。


②番目の写真、中央が武寧王陵。
左側は壁画墳の6号墳。
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③番目の写真は、宋山里古墳群の遠景。


古墳群は綺麗に整備され、史跡公園となっています。


現在、古墳群の入口には古墳群模型館という建物が建てられ、精巧な石室の模型が見学できます。





次は公山城を訪れます。
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【参考文献】
東潮・田中俊明 1989 『韓国の古代遺跡 2百済・伽耶篇』 中央公論社
早乙女雅博 2000 『朝鮮半島の考古学』(世界の考古学⑩) 同成社
大韓民国文化財管理局編 1974 『武寧王陵』 学生社
樋口隆康 1978 「武寧王陵出土鏡と七子鏡」『考古学から見た古代日本と朝鮮』 学生社
三上次男 1978 「百済武寧王陵出土の中国陶磁とその歴史的意義」『古代東アジア史論集』下 吉川弘文館