
次に訪れたのは夢村土城です。 夢村土城(むそんどじょう/モンチョン・トソン)は、ソウル特別市松坡区芳荑洞に位置する百済時代前期前半の土城で、漢江南岸の標高約44mの微高地に立地し、風納土城の南東約1kmに位置しています。北東を城内(ソンネ)川が流れます。 周囲を版築状の土塁で囲んでおり、南北730m、東西570m、総延長2280mで、平面形は南北にやや長い不規則な楕円形を呈しています。北東、東、南には城壁の開口部があり、門跡と推定されていますが不明です。北東には周長270mの外城があります。 ①番目の写真は、北門付近から北方を撮影したもの。

土塁は、西壁で基底幅50~60m、上部幅7.5~10.5m、高さ12~17mほどです。土塁外側は30~40度の急傾斜を成して段を造り、上段からは柱穴列が検出されており、木柵が設けられていたとみられています。土塁内側は5~10度と傾斜は緩やかです。 北西と南東では垓(ヘ)字(ジャ)(濠)が確認されています。北西壁では現地表面から2.8m下で、南東壁では3.2m下で検出されましたが、深さや幅は確認できませんでした。いずれも自然河川を引き込んだものとみられています。 ②番目の写真は、北西の城壁から、西方向を撮影したもの。 右下には、復元された木柵が見えます。この木柵は、前述の物とは違い、土塁外側の低地に設けられている物です。その木柵の奥には、城内川(ソンネ川)が見えます。

城内の主な遺構としては、礎石式建物跡1、竪穴住居跡9、池2、貯蔵穴31のほか、甕棺墓5、土壙積石墓5、土壙墓2などが検出されています。 出土した遺物としては、高句麗系瓦当、陶硯、骨製甲札、中国六朝青磁などがありますが、特筆すべきは城壁築成土層中から出土した灰釉銭文陶器片です。 これは、円の中を「井」の字型に区切った文様で、銭の形に似ているので銭文と呼ばれています。類例としては、中国浙江省衢県街路村の塼室墓から出土した黒褐釉銭文壺が挙げられます。この墓に用いられた塼には「元康八年太歳在戌午八月十日造」の銘文があり、西晋の298年ごろの墓とみられ、出土した黒褐釉銭文壺もこの頃のものと考えられます。 したがって、夢村土城の築造年代は3世紀末から4世紀初頭ごろと推定されます。陶器片が出土した東壁ではその下にも版築面があり、築造はさらにさかのぼる可能性があります。 また、出土している百済土器、中国産の青磁片や黒釉磁器などから、漢城百済が滅亡する475年ごろまで存続したとみられます。 ③番目の写真は、東門付近から北方を撮影したもの。 中央奥には、土塁外側に復元された木柵が見えます。

城壁四隅の頂上部には3~5mの土壇があり、望楼阯とみられています。 写真④は、北東にある望楼阯推定地から北方を撮影したもの。

写真⑤は、南辺土塁にある望楼阯推定地から見える、オリンピック広場と高層ビル群。

夢村土城は現在公園となっていて、ソウル市民の憩いの場となっています。 我々がカメラや資料を手にゆっくり見学していると、土塁上を通っている遊歩道をウォーキングあるいはジョギングしているたくさんの人たちにどんどん追い抜かれていきました。 ちょっと邪魔みたいでした…。 また、公園内には、夢村歴史博物館という資料館があり、夢村土城や周辺の遺跡について学ぶ事ができます。 ⑥番目の写真が夢村歴史博物館。 次は石村洞古墳群を訪れます。
【引用参考文献】
東潮・田中俊明 1989 『韓国の古代遺跡 2百済・伽耶篇』 中央公論社
佐藤興治 2007 「第9章百済の都城 1王城」『古代日本と朝鮮の都城』 ミネルヴァ書房
早乙女雅博 2000 『朝鮮半島の考古学』(世界の考古学⑩) 同成社
東潮・田中俊明 1989 『韓国の古代遺跡 2百済・伽耶篇』 中央公論社
佐藤興治 2007 「第9章百済の都城 1王城」『古代日本と朝鮮の都城』 ミネルヴァ書房
早乙女雅博 2000 『朝鮮半島の考古学』(世界の考古学⑩) 同成社