イメージ 1
11月の岩手の遺跡踏査会の続き…。


志波城跡の次は、矢巾町徳田にある徳丹城を訪れました。


徳丹城は、水害の被害を受けていた志波城の代わりとして、812(弘仁3)年ごろに征夷将軍の文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)によって造営されました。


約356m四方を築地塀や材木塀で囲んでおり、その内部に約76m四方を材木塀で区画した政庁があります。政庁内には、正殿や脇殿などの建物が配されていました。


近年は、北上川から引かれた運河や、志波城の機能を移転する際の仮の施設等の存在が注目されています。


写真は徳丹城の政庁を西から撮影したものです。


白い短い円柱が柱の跡を示しており、写真左から正殿、東西の脇殿、政庁南門の順です。
イメージ 2
次は江釣子古墳群です。


江釣子古墳群は、北上市江釣子の八幡・猫谷地・五条丸・長沼の各古墳群の総称です。東西約1kmの範囲に、全体でおよそ130基の古墳が確認されています。


「古墳」といっても、我々が普通イメージする古墳時代の古墳とは違います。


江釣子古墳群の古墳は「末期古墳」と呼ばれるもので、北東北に多く見られる「古墳」です。


4~5世紀に続縄文文化という北方系の文化が広がっていた地域に、6世紀以降に南からの古墳文化の影響を受けて成立したのが、「末期古墳」という特殊な古墳です。当時この地域に暮らしていた蝦夷(エミシ)の人々の墓ではないかと見られています。


末期古墳はいずれも円墳で周溝をめぐらし、大きくても15m程度の小型の物がほとんどです。色々なタイプがありますが、主体部は横穴式石室の影響を受けたものです。ただし、追葬はできない構造になっており、古墳文化における横穴式石室とは異なっています。


写真は江釣子古墳群のうちの、猫谷地1号墳です。


直径は約12m、高さ約0.9mの不整円形。墳丘中央部に東西約0.75m、南北約3.55m、高さ約1mの石室を持ちます。羨門が河原石で閉塞されています。蕨手刀・青銅製鞘尻金具・鉄鏃・耳飾・メノウ製勾玉・水晶製切子玉や土師器・須恵器の壺などの副葬品が出土しています。


このあたりは、道のあちこちに古墳があり、河原石を積んだ主体部が落ち葉の中から顔をのぞかせていました。
イメージ 3
最後は胆沢城跡です。


胆沢城跡は、水沢市佐倉河に所在します。


802(延暦21)年に坂上田村麻呂によって造営されました。


約670m四方を築地塀で囲み、その内外を溝がめぐります。
内部には一辺90m四方を囲んだ政庁があり、正殿や脇殿などの施設がありました。


写真は政庁正殿跡です。


胆沢城に着いたころには、なんと雪が降り出してしまいました…。


シャッターを押す手がかじかみ、気付いたら他の人達は足早にバスへと向かっていました。


今回の踏査行は、寒い上に天気も悪く、しまいには雪まで降り出す始末でしたが、どんより雲の下の古代の城址というのも、それはそれでとても感動的な光景でした。



でも、



こんどはもうちょっと暖かい季節に来たいです。。。