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東大農学部の門を入って左手すぐ、
ひっそりと『朱舜水先生終焉之地』の石碑が建っています。


朱舜水は簡単に言うと黄門様の師匠。


1600年、中国浙江省餘姚に生まれた朱舜水。


「開国以来第一」と称せられるほどの才能の持ち主でしたが、
明王朝末期の腐敗しきった官界に失望し、
出世の道を拒み続けます。


明が滅び清が政権を樹立すると、
朱舜水は明王朝復興のために奔走します。


汚れきっていた今は無き明王朝のために働くというのは一見矛盾しますが、
異民族王朝である清は人々に弁髪を強制したため、
学問に誠実で「文明人」としての誇りが強かった朱舜水は、
「野蛮人」の風習に染まる事をいさぎよしとしなかったのでしょう。
漢民族の王朝である明の復興を願ったのです。


「明室復興」のため、
朱舜水はベトナムに6回、日本へ7回渡航します。


ベトナム(安南)に渡ったときも、
「文明人」としての誇りを忘れることは無く、
「野蛮人」であるベトナムの国王に対し拝礼する事を拒否します。


日本への渡航は援軍を求めるため。


しかし明の復興の望みが無くなり、日本に留まる事を決意します。
朱舜水60歳の時でした。


しばらくは長崎にいましたが、
徳川光圀に乞われて江戸そして水戸に来ます。


光圀は朱舜水を師と仰ぎ、
役職につけたりはせずに学問の話をしたりするだけでした。
朱舜水の思想は『大日本史』の編纂や後の「水戸学」へも多大な影響を与えたと言われています。


光圀は彼のため江戸に特別に屋敷を建てて住まわせました。
それが現在の東大農学部のあたり。


現在たっている石碑は、
明治45年に朱舜水日本渡来250年を記念したもの。


朱舜水については、
吉川弘文館から石原道博さんの『朱舜水』という本が出ています。
古今の日中両国の文献を丹念に調べた力作です。





東大を訪れるのは2年ぶり。
古代の中国東北地方にあった渤海という国で作られた瓦の整理作業の時以来です。
東大に入るのって何だかわかりませんが緊張しますね。