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亀石を後にしてしばらく行くと、
天武・持統合葬陵が現れます。


うわぁ…
すごい階段。

前日に山の辺の道と奈良町、
この日の飛鳥の道を合わせると、
既に20km以上(しかも夏に)歩いている身にはキツイ。

なので、
残念だけど下から写真撮るだけで我慢しました。

階段の先にある建物の向こうの森が天武・持統合葬陵です。


この天武・持統合葬陵は、
その名のとおり天武天皇と持統天皇がご夫婦で葬られている古墳で、
檜隈大内陵(ひのくまおおうちのみささぎ)
野間王墓古墳(のまおうぼこふん)
とも呼ばれています。

檜隈大内陵が天皇陵としての名前。
野間王墓古墳が古墳としての考古学的な名前。
天皇陵の場合はこんなふうに名前がややこしい事が多いです。


この古墳は五段築成の八角形の古墳で、直径(対角辺長)が約38m。


八角形の古墳は古墳時代の終末期に現れた古墳で、7世紀の中ごろに登場しました。
この不思議な形の古墳は、皇族や大陸文化と関係があるのではないかと考えられています。


鎌倉時代に盗掘されていますが、
そのときの記録『阿不畿乃山陵記』(あおきのさんりょうき)によれば、
内部からは金銅製の台の上に乗った漆塗りの木棺と、
火葬した骨を入れた金銅製の容器が発見されています。

木棺に納められたのが天武天皇
火葬されていたのが持統天皇
であるとされています。

持統天皇の場合、
金銅製の容器は盗掘時に持ち去られ、
中に入っていた骨はそばに捨てられてしまったとか…
せっかく安らかに眠っていたのに、とんだ災難です。



それにしても、
もうだいぶ体力がなくなってきました。
この時点でかなりフラフラです。

つぎはいよいよ、
最後となる高松塚古墳を訪れます。