僕が一気に釣りという遊びにのめり込んだのは中学生の頃だった。

港のそばで生まれ、釣り馬鹿の親父が市場の中の商業施設で商売をしていたという環境で育った僕にとって釣りは身近な存在で、ハゼ、アジ、キスやイワシを釣って遊んだ。

小4から転校して街中の学校に移り、中学生になって仲間とチャリで毎週末釣りに行くようになった。沼津の街中からリュックに竿を差して、チャリを漕いで沼津、静浦、多比、西浦などあちこちの港に行ったり門池、城池など野池に通ったりもした。

ルアー釣りと出会ったのもこの頃だった。『クロ、ブラックバス釣りに行こうぜ!』と声を掛けて来たのは釣り仲間のRとHだった。当時はタックルを揃える金もなく、町の小さな釣具屋で1本300円の振り出しのパックロッドのグリップにコルクテープを巻いて、チヌ用の両軸リールをベイトリールの代わりに乗せて、気分だけそれっぽくして、いつものようにチャリを漕いで町外れの門池に出掛けた。

『ブラックバスなんて、食べない魚釣ってもしょーがねーじゃん、だったらカサゴの方がいいよ、おいしいし。それにエサの方が効率いいよ。ミミズ掘ってやろーぜw』

なんて最初は言っていたが、初めて行ったバス釣りで暴力的なバスのファイトを味わってからはバスという魚に、そして魚をルアーで釣るという行為に夢中になった。多分この経験が無かったら、今の自分の釣りは無いだろう。これが、僕の釣りの原風景。


年末に同窓会があって、その席でその当時の釣り仲間であったHと十数年ぶりに再会した。
そして最近ブログを開設して、そのリンクを貼る為に長らく放置していたFacebookを再開したのだが、そこで当時の釣り仲間たちとやりとりをするようになって、ふとしたことからHと一緒に釣りに行く流れになった。

仕事が溜まっていて約束の時間に遅れて待ち合わせ場所の多比漁港へ。ここは当時、沼津港に次いで足しげく通った第二のホーム港。


思い出の場所で落ち合った僕らはそのまましばし其処でロッドを並べ、現在の僕のホームポイントに移動する事となった。

メバルを狙うのか、カサゴなのか、それともエギングなのか、これといったターゲットも定めず、久方ぶりのセッションを楽しむ。

とりとめもない話をしながらキャストを続けると、ふいに生命感がロッドに伝わってくる。フッキングするとドラグがチリチリと鳴き、ロッドがベンドする。25㎝ほどのカサゴ。旧友にランディングしてもらい、ありがとしてリリース。


その後もなかなか喰い渋る中、Hもカサゴを釣り上げ、夜明けと共に解散。Hは家路に、僕は休みなのでデイゲームに備え、仮眠。


目が覚めると腹が減ったのでコンビニで買い物をして、メシ。天気もいいし、たまには外で食うか。中坊の頃もよくこうやって食ったもんだ。

腹も膨れて釣りを再開しようと思ったが、
風強く、海練りが出ていた。ちょっと釣りが成立しなさそうなので寝ている間ポイントに竿を出していたヤエンの方とおしゃべりしながら軽くロッドを出して、すぐに上がって再び車でお昼寝。今日は夕方からは埼玉のあきさんのニュータックルの筆下ろしの儀に同行する予定。それまでのんびり過ごそう。


中学を卒業して違う学校に進み、お互いに忙しくなって一緒に釣りに行く事がなくなって、三十年近く経つのだろうか。お互いにおじさんになったし、釣りものも、タックルも変わった。Hは相変わらずマルチだし、Rはオフショアでマグロのケツを追っかけてるらしい。Yは社長業で忙しいながらもブレずにバスを続けているし、TはRと一緒にオフショアで遊んだり、あの頃釣りをしていなかったSは釣りを始めて、今ではドップリとシーバスゲームにハマっていて、一時期共通の友人Kを通じて、一緒に海に通ってみたり。

それぞれの人生を歩んでいても、みんな釣りから離れず、久しぶりに顔を合わせたりSNSを通じてやりとりしていても、みんな根っこはあの頃のまんまだ。

いいもんだ。また昔みたいにみんなでロッドを並べて、一晩中バカやりたいな。
あの頃叶わなかった『五中 フィッシング部』を今さら設立してみるか…