本来の自分に戻って魂を生きる -2ページ目

言葉にはその人の心がよく表れているけれども、
必ずしも「そのまんま」表現されているわけではない、と思うことが多々あります。

自分の内側の見たくないものを隠したいから
そのような言葉、そのような行動を、無意識に選んでいる場合があると。

そういう意味で、
言葉では 幸せ アピールをしていても、
心の中は、いつ自分から人やお金やパートナーが去っていくかと
不安や焦りでいっぱいだったり、
謙虚さ をアピールしていても、
心の中は、自己顕示欲や承認欲求が強かったり、
愛や光 をアピールしていても、
心の中は、とてつもなく打算的だったり、
といったこと感じることがあります。

人の心は巧妙で、
無意識の中にあるものを見ないように(気づかないように)、
うまく誤魔化したりするのだと思います。
別の動機を使って、それを本物と思わせたり。

例えば、
人に気を遣って本来の自分を出せずに生きていた人が自分と向き合い、
少しずつだけど自分を大切に出来るようになったし、自信も持てるようになった。
自分も人を癒したい、人に伝えたい。
そうしてカウンセラーやセラピストや講師になった。
もちろんそれは素晴らしいこと。
でも、その人の深層意識には、他者への強烈な支配欲がある…とすると。
カウンセラーやセラピストや講師になることで、
その支配欲を満たそうともしている。ということだってあります。
あくまでも例えばの話ですが、
こういう 隠れた願望 には気づきにくい。

見たくないんですね。
なので、潜在意識の中の別の理由を当てはめようとする。
別の理由といっても本人の中にあるものだから、
本人からすればその理由に納得できるし、腑に落ちるわけです。

こうして、別の動機を本物の動機と勘違いして、
心の奥底に隠れている人間的エゴを満たし、
満たされている心地良さに、「本来の自分を生きている」と錯覚してしまう。
そのうえ、
以前の窮屈な自分(無意識に抑圧していた自分=先ほどの例では支配欲を抑えていた自分)
から解放された、という実感もあるので、より気づきにくかったり。

また、満たされることで、
今度はそれを失う恐れや不安も無意識に生まれるので、
満たされた状態を維持するために、
満たすことを追い続ける、ということにもなります。

それが強くなると、先ほどの「○○」アピールのように、
「自分は満たされている」とアピールしていても、
実際は、本人が気づいていないだけで 恐れや不安でいっぱい という
言葉と心がちぐはぐな状態に。
そして、その恐れを紛らすために、
外へのアピールでまた人を惹きつけ、
自分の内側の隠れた願望(人間的エゴ)を叶えようとする、というループに陥る。

※誤解がないよう補足しますが、
自己アピールや自己表現がいけないわけではなく、
その表現が自分の心を誤魔化すための表現だということに、
本人(他者も)が気づいていない場合が多い、という意味で書いています。


本人からすれば、そのような隠れた願望や恐れを見たくないので、
「満たされている」という心地よい感覚だけを重視し、
それが全てであるかのように判断します。
無意識なので、全く自覚していません。
自分に都合の良いものや、
見たいものだけを見てしまっている
ので気づかず、
むしろ、自分と向き合い、深い気づきによって「内側(魂)が満たされている」とさえ
思っていることがあります。
内側の深いところにある隠れた願望(人間的エゴ)が叶っているので、
それが魂の喜びだと錯覚してしまうんですね。

他者との関係でも、こういった隠れた願望や内側に気づいていないため、
結果的に、魂の望みではなく、
互いのエゴを満たし合う関係となり、
本来の調和ではなく、
共依存を生んでしまっている場合が多かったりもします。

確かに人は、見えている部分では色々な体験をしているけれども、
自分の深層にあるものに気づいていないため、
霊的成長という意味での見えないステージは変わらず、
同じステージに居続けている、という状態になっている場合も。

まずは今の自分を観察(客観視・俯瞰)し、
深層にあるものに気づくことが大切だと思います。
都合の良いものばかりを見るのではなく、
そのままの状態をあるがままに見る。
自分を観察することは、
自分の内側の抵抗を解いていく
ということでもあり、
魂に気づくための基本だと思っています。
なので、そこを無視して次には進めない。
自分の本当の内側を受け入れることで、
真の選択 が始まり、そこからやっと、
調和の中の個の真実をスタートさせることができる、と私は思います。






スピ界では、自身の内側と繋がった“ような” 至福体感や、
物や自然や他者といった外側と一体になった“ような” ワンネス体感を得た人たちがいて、
そういう方たちから、
この世には愛しか存在しない、とか、
存在するもの全てが一つでそこに境界線などない、とか、
この世界の全てには意味がない(人が意味づけしているだけ)、とか、
そういった言葉が広まり、
真意が置き去りのまま言葉だけが一人歩きしている節があるけれども、
少しでも霊的な叡智を授かった者ならば、
その主張を強めることで大きな誤解が生じ、
むしろ人々を魂から遠ざけてしまうことがある、
ということがわかるのでは?と私は思います。

確かに究極を言えば、全てには意味がない。
というのも、そもそもが何も起こっていないのだから。
それは、自分が次元上昇することで、
身をもって知ることができます。

と同時に、それが全てではないことにも気づきます。
なので、もっと高く広い意識で見れば、
「何も起こっていない」「全てには意味がない」と広めることこそ、
浅はかで無意味なこと、だとわかります。

体感を通じて知ることはとても大切なことだけど、
それによって、木を見て森を見ず、という状態になっていては本末転倒。
しかも、その体感が、自身の虚栄心から生まれた単なる錯覚ならば?
あるいは、恐れが見せている幻ならば?

物事にはプロセスがあるし、
目には見えないけれども複数の次元の中に私たちはいる。
さらにはその中で、人それぞれの魂にも真実(段階)がある。

それを無視してスピ(悟り)かぶれな極論ばかりを教えても、
残念ながら、自分の人間的エゴを満たしているだけで、
自他の霊的気づきには繋がっていません。
どんなに饒舌にスピ的なことを語っていても、
その本人が、魂ではなく、
心の望み(エゴやカルマのパターン)を優先させて、優越感に浸っているだけ。

本当に重要なのは、
この世が幻想だとか、全てには意味がないとか、本当は何も起こっていないとか、
そんなことではなく、
大いなる存在から分霊した個として、与えられたこの生をどのように生きるか
だと思います。










1ヶ月ぶりのブログです。
この間にも、ご訪問してくださった方や、いいね!をしてくださった方がいらっしゃり、
とても感謝しています。

最近はパソコンを開くことが少なく、
みなさまのブログにご訪問することも遅れがちになっています

実は先月、ご依頼を受けていたブログカスタマイズをさせていただいたので、
遅ればせながらご紹介させていただきます。

ブログにはアップしていないデザインも何点か見ていただき、
最終的に2つのデザインで悩まれた結果、
はじめに決めたデザインを選択していただきました。

ご希望などを可能な範囲でお伺いさせていただき、
タイトル部分の色変更や、サイド&記事部分の枠などを追加したことで、
下記のデザインが・・・





このようにビックリマーク

チューリップ黄本質に寄り添うライフケアサポート hiro様 のブログチューリップ黄
(↑クリックしていただければhiroさんのブログへ♡)





「死生観を持った生き方で――」と綴られたタイトル。
hiroさんは、突然お母様を亡くされたことから、
たくさんのことを身をもって学んでこられた方です。
失意のどん底から、その体験を で受け止め、
ご自身の生を、一日一日、とても丁寧に生きていらっしゃいます。

はき違えていないか。

この言葉は、hiroさんが以前、ブログに書いておられた言葉です。

私も常に自分を見直し、はき違えていないか、と自己を省みているので、
とても強く共感しました。

自分を責める必要はないけれど、自分を省みる必要はあると思っています。

自分を見つめる作業は、本当に大切です。
まだまだ未熟な私は、複数の手法を使って自分と向き合っていますが、
一生続けることだと思っています。
それが、魂の成長につながるからです。

人は、無意識の深いところにあるものを避けています。
そこにあるものを見ていない(知らない)から、
自分が無意識にその影響を受けていることも知りません。
何かを選択するときも、それが影響していることに気づいていません。
だから、表層や中層ではそのように見えなくても、
その実は、魂での選択をしていない、という場合がほとんどです。

私たちは、体験を通して魂を成長させるために、この世で生を受けています。
成長の場を与えられている、ということです。

だからこそ、魂(本来の霊的な自分)を成長させることが、
その恩に報いることであり、使命だと私は思っています。

お母様の死を乗り越えて、大切な気づきを得られたhiroさんのブログには、
実体験されたからこその貴重な言葉がたくさん記されています。

オープンに向けてブログリニューアルのお手伝いをさせていただけたこと、光栄に思います。
hiroさんの今後のご活躍を楽しみにしていますマルキラ☆



♥~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~♥

続いてお知らせです。

(1)ブログカスタマイズのご提供は、昨年をもって終了いたしました。
とても楽しい作業ですが、魂が望むことは別にあるので、
これからは趣味として気が向いたときに制作系を楽しむことにし笑
より多くの時間を魂の願望に費やすことで、さらに成長していきたいと思います。

(2)長らく休止していたセッションも、正式に終了いたします。
当時、自己と向き合うことで魂が何を望んでいるかを初めて知り、
そこにエネルギーを向けたいために、
オープンからたった2ヶ月半という短い期間で休止させていただきましたが、
その願い通り、ひとまずのところまで来ることが出来ましたので、
引き続きその階段を上がっていきたいと思います。


以上ですクローバー







今日はちょっと耳が痛い内容かもしれません。
といっても基本的にいつもそんな感じですが・・・汗



私はこのブログで、魂(=②)を生きることが大切だと書いていますが、
それは、ほとんどの方が魂を生きていないから、でもあります。

ところが、今はスピリチュアルな情報も多いし、
そういったツールやメソッドも多いからか、
自分は「魂を生きている」と勘違いされている方も多いように思います。

実際、スピ系カウンセラーやセラピストの中にも、
そういった勘違いをされている方がいます。

以前の記事で、エゴにも次元があると書きましたが、
言い換えればそれは、
魂的エゴと、人間的エゴ、とも言えるのですが、
このエゴの違いを見分けることが出来ないがために、
人間的エゴの喜びを、
魂的エゴの喜びだと錯覚してしまうのです。
そして、
過去の自分よりも今の自分のほうが幸せ、
自分と向き合うことで自分は変われた、
ようやく好きなことをやれるようになった、
ワクワクすること、楽しいことを選ぶことで今が楽しい、
自分を愛せるようになった、
・・・・・
といった、その感覚を、
「魂を生きている」と思い込んでしまうのです。

もちろん、過去よりも今が楽しい、今が幸せ、自分を愛する、というのが
悪いわけではありません。
このブログのメッセージ欄にも記載している通り、
決して「今の自分」を非難しているわけではありません。
むしろ 自覚すること が大切だと思っています。
ただ、
それが必ずしも「魂を生きている」というわけではない、ということです。

私たちは肉体を持った人間でもあるから、
当然、人間的エゴに魅力を感じやすく、無意識にそっちに引っ張られます。
人間的エゴといっても、
わかりやすい単純なものだけじゃなく、
その実は多種多様だから、
余計に魂的エゴ(魂の願望・魂の喜び)に気づきにくくなります。
そのため、人間的エゴと魂的エゴを見分けることができず、
心の反応やその感覚で 魂の喜びを生きているかのように錯覚してしまうのです。

また、人によっては、「認めたくないこと」が魂的エゴだったりもします。
自分が一番認めたくないこと、一番気づきたくないこと。
それが、魂の喜び=霊的成長、となる場合です。
そうなると、
なおさら魂の喜びを避けてしまうわけで、
内観しようが自分と向き合おうが、
もはや無意識の深層で避けてしまっているから気づけないし、
仕事などでやりがいを感じたり、
今の自分に幸福感を感じたり、
何かに満たされたりすることで、
=魂を生きている、と自分を納得(満足)させたくなるのです。
その場合、
仮に「あなたの魂はこれを望んでいる」と伝えても、
そんなはずはない!そんなの間違っている!と、本人は受け入れられなかったりします。
過去生からその勘違いを繰り返している場合もあるので、
魂そのものが気づける状態でなかったりすることもあります。

それほど、自分の魂に気づきにくくなっている。
見つけにくくなっている。
心のことを学ぼうが、スピリチュアルを学ぼうが、ツールやメソッドを使おうが、
むしろ人間的エゴが満たされて、魂から遠くなっていることもある。
そうして沢山の勘違いをしている。

魂から遠く離れているのに、人間的エゴが満たされているから気づかないのです。

そのうえ、スピ系カウンセラーやセラピストの中にも、
魂的エゴか、人間的エゴか、その見分けがついていないために、
クライアントの心の変化や反応、感覚など、表面や中層的なところで捉えたものを、
それが=魂の願望だと思い込んでしまっている場合があるので、
なおさら勘違いが広がっているように思います。

過去生が見れても、チャネリングができても、透視やヒーリングができても、
本当の意味で深層的な部分が見れているわけじゃない場合も多いので、
こういったエゴの見分けや、魂の状態に気づいている人は限られているように思います。

そもそもが自分自身のエゴの質や本当の内側(魂)にも気づいていないのだから、
相手(クライアント)のエゴの質や魂に気づくのは、難しい、と言えると思います。

人間的エゴを満たす①の自分を生きるのも、
魂的エゴを満たす②の自分を生きるのも、
どちらを選んでも確かにその人の自由だとは思います。
変にとらわれることで不要な観念が生まれたりもするので、
とらわれないことが大切 とも言えますが、

ただ、スピリチュアルな情報やそういったセッションが多いからか、
①を生きているのに、②を生きている、と安易に捉えている方が非常に多いと
最近特に感じるので、
それでは本当に②の自分(=魂)に気づくことができなくなる、という意味で、
このような記事を書きました。









明日、友人が日本を発って海外に行きますマルキラ☆
ちょうど1年前、私のセッションのモニターになってくださった彼女。
その時、ご両親に別れを告げて旅立つ姿が見えたので、
いつかそうなる日が来るのだろうとは思っていましたが、
ご自身もビックリの急展開で、9月に突然決まって、
それから3か月足らずでの出立ですハート

セッションは本当にきっかけで、
そこから何を選ぶかはご自身だと思います。
彼女は本来の自分に抵抗することなく、
素直にまっすぐに、魂に必要な体験を選んで行かれた結果、
導かれるように真実の道を歩んで行かれています。
私と彼女のお付き合いも1年前から始まったのですが、
9月に彼女からご報告を受けた時は、自分のことのように嬉しかったです。

人にはそれぞれの真実がある。と、以前から繰り返し書いていますが、
それは本来の自分②を生きること。
その自分=魂のプロセスを歩むことが、個=全体の霊的な成長や進化に繋がる。
だからこそ私たちは、④から分霊して肉体を持つこの世界を選んでいる。
全=個の約束通り、本来の自分②を生きるためにも、
まずは今の自分①を正しく知る(自覚する)ことが必要だと思います。

人は、等身大の自分を知ることが大切だとつくづく思います。
等身大の自分を知らないがために苦しんでいる方が、たくさんいます。
等身大の自分を知らないと、真実の道が見つかりにくくなります。
低次元のエゴが邪魔をするのですね。

等身大の自分より自分を大きく見積もっている人もいれば、その逆もいる。
こういうのって、自分では気づきにくいものです。
とはいえ、セッションを受けたことで、むしろ誤解を加速させている方もいるので、
難しいですね。
ようは自分と向き合っている「つもり」で満足するのではなく、
徹底して自己観察することが大切だと思うのですが、
自分から逃げている人は、本人にそのつもりはなくても、
やはりあるがままを見ることが出来ないわけで…。

私は、潜在意識に繋がるツールやワークを複数使い、
段階的に内側を軽くすることで次元を高めていき、
結果的に、あるワークの途中で突然、高次元の②の自分と繋がり、
その数日後、④とも一体化したことで、自分自身が真っ透明なクリアになり、
その時、自分が真っ透明になったからこそ、
この世界の様々な「色」が見えたのです。
それは、純粋な色から濁った色まで、様々です。
こうして、この世界の見えないカラクリ的なことが見え、次元の違いを知り、
同時に霊的な情報を受け取り、
拙い表現ながら、ブログでシェアできる範囲のことを書いてきたのですが、
でもこれは、決して特別なことではなく、
それを「知る」ことを自分(魂)が決めて来ただけのことです。
そして、本来の自分から離れている人が多い中、
それを促進させるような机上の空論が広がっているこの世界で、
自分が見たこと(見せてもらったこと)受け取っていること(授かったこと)をシェアする、
そのように決めて来たことをしているだけです。

海外に発つ友人と私は、同じです。
それぞれが自分の魂に気づき、それを生きているだけ。
同じ②の次元で、自身が課した役割り(真実・ステージ)を生きているだけです。

私たちが生きているこの世界には、見えない次元があります。
以前の記事で、投影や鏡の法則について書いたように、
それが全ての人に当てはまるわけではありません。
投影しているものが違うのですね。
それは、次元が異なっているから当然で、
②の自分からすれば①の自分ですら自分じゃないのだから、
①の他者が自分の投影になる道理がないのですが、
ここでは詳しい説明は省きます。
いずれにしても、②の内側と、この世界で起きていることは別物だったりします。

また、見えない次元が異なるので、
AさんとBさんが仮に同じことをしているように見えても、
根底にあるものが違っていたりします。ベースが異なるのですね。
その部分は目に見えない部分なので、外からは気づきにくいところのように思いますが、
敏感な人には普通に見える(わかる)ものです。
内側が透けて見えるのです。
例えば、一方はプラスがベースにあるけど、もう一方はマイナスがベースとか、
一方は純粋がベースだけど、もう一方は不純がベースとか、
一方は愛がベースだけど、もう一方は恨みがベースとか、そういうのが見えます。

昨日、あるブログを読みました。
これまで読んでいたブログだったのですが、
先月の後半、すでに登録を解除していたのです。
なのに、全く無関係の海外在住の友人との会話から、まさかの偶然(必然?)で、
たまたま、そのブログにたどり着いたのですΣ(゚д゚;)

記事を読んで納得。
読んでほしいという念(エネルギー)が凄かったですスマイル

私は子供のころ、
世の中には、マイナスの意味で
自分がされたことは憶えているけど、
自分がやったことは憶えていない、という、
自分勝手な人(=被害者意識が強い人)が多い。

ということを何度か聞かされました。
つまり、そういう人間にはならないように、ということを暗に教わってきたのです。

エゴは次元が低くなればなるほど、厄介です
視野が狭くなり、その分、物事や人の言葉への理解や解釈も浅くなり、
しまいには、一方的に他者を恨み、嫉み、自分の心を自ら汚して自爆してしまうのです。
そうなると、
自己の中にある低次元の醜いエゴを、相手の中にある、と一方的に決めつけ、
強い承認欲求や被害者意識など、それら低次のエネルギーを使って
周りを自分の位置に引きずり落とすことで(実際は落とせていないけど)、
自分は高次の自分を生きているかのごとく錯覚(解釈)するのですから、たちが悪いのです。

それをしても、汚れるのは自分の心だけ。
傷つくのは、自分の魂だけ。
同じことをしているかのように見えても、
ベースが醜ければ、結果的に醜いものを受け取るのは自分です。

落ちた自分を最終的に救えるのは、自分の意識。
私たちは、そのために 気づく力 を授かっているのです。

その力をもって、自身の魂に気づいてあげることが、何よりも大切だと思います。