本来の自分に戻って魂を生きる
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全ては最善で、私たちはどこで何をしていても完璧なんです

とある人は言う。

でもその一方で、「批判=分離」だと決めつけてジャッジし、

自分を批判する側に問題がある、と暗に相手のマインドをコントロールする。

本当に全てが最善で完璧なら、批判も最善であり完璧なのでは?

仮にそれが分離であったとしても、分離も最善であり完璧なのでは?と思う。

 

何を選んでも、どの道を歩んでも、最後はちゃんと魂が望むゴールにたどり着く

と言う人もいる。

でもその一方で、最善の道を歩けるように自分を守ってくれている見えない存在たちにお願いしよう、と人々を誘導する。

本当にどの道を選んでも最後は魂が望むゴールにたどり着くなら、

わざわざ見えない存在に願う必要なんてあるだろうか?と疑問に思う。

 

いずれにしても私は、上記の赤色のような無責任なセリフは、易々とは言えない。

大半の人が、魂の願望(生まれてきた決意)を生きることが出来ていない中、

つまり、カルマを繰り返している=魂が苦しんでいる状態がほとんどの中、

「どこで何をしていても最善で完璧」

「何を選んでも、どの道を歩んでも…」

などとは言えないわけです。

 

そもそも、宇宙はそんなに甘くない。
当然ながら、自分に都合のいい愛でも光でもない。
全てがある。それが宇宙でありこの世界。

魂を生きるというのは、
自分に都合よく楽しいことやワクワクすることだけを選ぶ、というものでもない。
感情のレベルで楽しんでいても、決して魂が喜んでいるとは限らない。
私の場合、自分の魂の願望に戸惑いすら覚える。
よほど自分自身に強く蓋をしていたのだろう。

そんなことを望んでいたなんて露ほども思っていなかったし、

本当に、自分のことを何も知らない。
だから、魂の願望に気づいた後でも、
え?今から?なんで?私が?ほんまかいな?畑違いちゃうの?と思っているし、

隙あらば「逃げの道」を無意識に選択しようとしてしまう。

逃げの道とはカルマに引っ張られた道のことで、
私の場合、その道を選ぶと大変だけれどやりがいもあるし楽しいだろうし

魅力的だしワクワクするし、発想も広がるし夢も膨らむーーー♪という道も含まれていた。

 

今の流行りのスピ的な教えで言うと、

それって魂が望む道じゃないの?って感じなんだけど、

残念ながら違うわけで、ただ単にカルマに引っ張られた「楽な道=逃げの道」…(T▽T;)

 

辛うじて自分でその道が「逃げの道」だと気づいているから良いものの、
気づけなかったら間違いなくその道を選んでいる( ̄_ ̄ i)

だって自分の好きなジャンルだし、やってみたいし。

というか、気づいていても、また別の手口で心くすぐられる道に誘導されてしまうから

無意識(カルマ)の力を侮るなかれ汗

命が無限なら、その道を選んだあとに魂の道を選択すればいいんだけれど、

残念ながら死が訪れる。

そうでなくても魂の願望を成就させるほかに、カルマの解消もあって、

同時進行で複数のことをクリアしていかなければならない中で、

今世中に終わらせられるのか?と焦っているのに、無駄な寄り道をしているヒマはない。

 

正直、「ああ゛-----逃げたい!!!」と思う時は何度もある。

でも、

別の道を歩んだら歩んだだけ、その分、本当に望んでいる道を歩むのが遅れてしまう。

で、そのまま今世を終わらせたら…

また生まれ変わって「無知」の状態で人生を始めなければならない((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

それだけは嫌だ。

だから逃げたくなっても踏ん張ります。

踏ん張りきれず、知らず知らず逃げの道に向かってしまっていたら、

そこから魂の望む道へと軌道修正します。

 

確かに、何を選んでも本人の自由。だから、

全ては最善♪* どの道を歩んでも最後はちゃんと魂が望むゴールにたどり着く♪*

と自分を誤魔化しながら、魂の決意から逃げて

何度も同じステージを繰り返したければ、それもありだと思う。

ただそうなると、その分カルマも強くなるわけで、同じステージではいられなくなってくるけど…

 

私自身、魂の願望に集中したいけれど、ため込んできたカルマの解消もあるので、

やることが多くて本当に時間が足りないあせる

しかもまだまだ序盤。

これから本格的に動いていくことも分かっているから、更に忙しくなるのが目に見えている。

ほんの数年前まで、「何をしたいのか分からない」と言っていた自分や、

「別にいつ死んでもええわ」と思っていた、ただ生きているだけだった過去の自分は何だったのかビックリマークと思うほど、今は、健康で長生きしたい。

健康で長生きしなければ、複数の活動ができないし、今世中にそれらを成就させられないから。


そういう意味でも、過去生の自分に言いたい。
「逃げるな!」「カルマ溜まるやん!」と。。。 笑

 

 

またリブログです^^

前回の記事も、その前の記事も、その前も前も…

どの記事にも、とても大切で深いメッセージが込められているエンライトさんのブログ。

ぜひぜひ読んでいただきたいです。

 


 

 

 

 

 

 

 

今回もリブログです^^

 


最後に書かれているこの部分↓

スピリチュアルは本来、叡智に基づくものである。
曖昧でふわふわした感覚主義ではない。
もちろん、感覚や直感も大切だが、

高度な知性に支えられてこそ、初めて直感も活きてくるのである。

 

その知性の源泉が、メンタル体である。
魂に最も近い次元のエネルギー体だ。
当然、魂の願望プランを知り尽している。
メンタル体はその願望に基づいて、必要な情報収集を行い、

緻密な計画を立て、マインドに信号を送る。

だが、多くの現代人のメンタル体は、

カルマに汚染され過ぎているため、マインドの思考もノイズだらけである。
多くのスピで、「思考を止めよう」 「直感を大切にしよう」 と説くのは、それ故なのだ。
雑音マインドに邪魔されず、ハートの声を聞き取るためである。
だがそれは対症療法に過ぎない。

魂の願望を意識化する為にはメンタル体の知性が必要不可欠であるし、

マインドや肉体次元でも現実化の作業が行なわれる。
我々は物質世界で生きているのだ。
したがって根本療法は、メンタル体のゴミを掃除し、

マインドの働きを正常にすることである。

 

 

ここを読んだときは特にテンション上がったニコちゃん

本当にその通りビックリマークと激しく同意。

私はメンタル体という言葉はよくわからないけど、

自分が見えている&受け取っていることがまさにこれで、

過去に書いてきたことが集約されている。

 

次元の違いが見える?受け取れる?ようになったことで、

多くの人が「魂を生きていない」ことがわかった。

別の言い方をすれば、本人たちが「魂を生きる次元に居ない」ということで、

そうなると当然、魂の声が本人に届きづらい。

そんな中、スピ的な言葉ばかりが世の中に広まり、

その言葉に惑わされて、さらに魂から離れていってしまう…という現象が普通に起こっている。

 

ツールやメソッドもそう。

過去の記事で、「どんなに素晴らしいと思われるツールやメソッドも、

それらが何かをしてくれるのではなく、それを使う側の意識がとても大切」

と書いてきたのは、実際に、ツールやメソッドを使うことで、

より魂から離れていってる…という人たちを多く見ているから。

 

以前、素晴らしいと思うツールに出逢った。

10ヶ月間、そのツールを編み出した創始者から直接学んでいたのだけれど、

受講者も、創始者でさえも、どんどん魂から大きく離れていった。

魂から離れれば離れるほど、その分、カルマやエゴの力が強くなり、それらの罠にハマりやすくなる。

そのため多くの場合、自分が魂から大きくズレていってることに気づかず、

むしろ、魂を生きている!という錯覚さえ起こしてしまう。

まして、ツールやメソッド、セッションなどによって「変化」を受け取っているから、

その変化(エゴが強くなる)を「本物」だと思い込み、

なおさら自分の勘違いに気づけなくなる。

 

前回の記事で、「幻覚の世界にハマりこんでいる」と書いたのも、そういうこと。

 

※こういう風に書くと、ツールやメソッドやスピ的な言葉(あるいは知識)が

人々を変えている(魂から遠ざけている)ようにも受け取れるけれど、

それは表面的なことであって実際は他に原因がある、ということを付け加えておきます。

 

 

人は容易く勘違いに陥ってしまう。

それは多くの場合が、エンライトさんのおっしゃる、

「カルマに汚染され過ぎているため、マインドも思考もノイズだらけである」から。

 

その状態で宇宙に身を任せても、

自分を動かしているのは魂ではなく、カルマやエゴとなってしまい、

せっかくのチャンスが到来しても、魂のためではなく、

カルマやエゴのためにそのチャンスを使うことになってしまう…あせる

 

 

 

 

 

 

 

 

魂が最終的に行き着く境地、そこを垣間見てからは、
それこそ巷で色々と言われているスピ的な知識や情報に
本当に惑わされなくなった。

そして、「本物の覚醒者にはオーラがない」ということも
当然のように納得できた。

自称覚醒者が多い昨今、
そういった人たちの意識状態を「見抜ける目」を持てるようになったことは
自分にとってほんとに良かったと思う。

「あなたは私、私はあなた」「ワンネス」「愛」「光」「宇宙」「非二元」といった
美しく壮大な言葉を声高に主張する今のスピリーダー?たちのオーラは、
正直、まだまだ欲望でギラギラ(ドロドロ?)している笑

彼らの根底には、「あなたは私、私はあなた」ではなく、
相手を見下し、「私はあなたよりも上」という優越感や、
特別でありたい願望が強くある。

さらに言えば、悟りや覚醒に興味もなければ価値も感じていない。

それが悪いわけではなく、
自分が見ないようにしている、そういった根底の意識に気づくことが大切。
そこに気づかない限り、何も始まらないのだから。

それ故、彼らが見ているものは、
覚醒でも悟りでも非二元でもなく、
幻想の中で自己逃避により生み出された「幻覚」の世界。
それこそ分離(乖離)であり、スピの罠とも言える。

そこにハマりこんで、見たいものを見たいように見ているだけのこと。
ある意味、悟りや覚醒から一番遠いところにいると言ってもいいぐらい。

スピに足を踏み込んでいない一般的な人たちのほうが
よほど魂の旅のステージ(プロセス)に軌道修正しやすい場所にいると言える。

悟りや覚醒を語る前に、
まずは自分が見ているその「幻覚」から目覚めることのほうが先決なのでは?
と差し出がましくも思うのだけれど、
所詮、根底では真のスピに関心がないうえ、
その幻覚にハマることで利得を上げ、
ある種の満ち足りた幸福感を得ている(と錯覚している)のだから、
気づこうとしない(気づきたくない)のも無理はない。

まさに「麻薬」ですね…

初めてのリブログ。
リブログしたい記事が沢山ありすぎる更新が楽しみなブログです。
激しく共感ビックリマーク













お久しぶりのブログですあせる

この間、訪問してくださった方や、
いいね!をしてくださった方、
読者登録をしてくださった方、

本当にありがとうございますm(_ _)m

超がつくほどの多忙につき、
ほとんどこのブログにログインしていないこともあって、お返しも出来ず、
皆様のブログにもいいね!ができていませんが、
ご理解いただければ嬉しいです(ごめんなさい🙇)


タイトルの『一切皆苦』ですが、
決してネガティブにフォーカスした言葉ではなく
それが変えようのない『事実』だという意味で書きました。

仏教に詳しいわけではないので個人的な気づきですが、
私の場合、『魂が最終的にたどり着く境地を垣間見る』という体験をし、
その時、本能的な恐怖を味わいパニックになりかけ、
自分(人)の魂がいかにこの世にしがみつき、執着しているかがわかり、
その執着が、生きる上で実はとても重要なヒントになっている、ということにも気づき、

それと同時に、『この世は一切皆苦なんだ!』という『事実』にも気づきました。

この事実に気づいたことで、
『全て』が『幻想』であることをハッキリと確信することができました。

『全てが幻想』だから
大いなる存在も源も神も宇宙も真我も愛も、何もかも『全て』です。

このことを魂が気づいた(思い出した)ことで
自分的に良かったと思うことは色々ありますが、
その中の一つは、
惑わされなくなった、ということです。

いろんな方がスピを唱えている昨今、
それまでは、すぐに見抜ける場合と、
リーディングしなきゃ見抜けないレベルがありましたが、
『一切皆苦』、『何もかも全てが幻想』を体験してからは、
以前ならリーデングが必要だったレベルでも、言葉を聞いてる(読んでる)時点で、
発信者のスピ理解度がどの程度かわかるようになりました。

以前、友人が『スピリチュアルを発信するなら口耳の学ではダメだと思う』
とブログに書いていましたが、ほんとにそうだと自分を振り返りながら思いました。
本人はそのつもりではないかもしれませんが、
口耳の学で発信している人、多いと思いますし、
何をもって覚醒というか、という問題もありますが、
『覚醒者扱い』されてる人、結構多いな~とも思います汗


また、前述の
『その執着が、生きる上で実はとても重要なヒントになっている』
という部分についてですが、
このブログでも繰り返し書いてきた通り、
魂は体験を必要としているし、
そのためにこの世を選んでいる。

自分(魂)にとって必要な体験をし、
それらをクリアしていくことで最終的に『全て(幻想)』を超えた境地に行く。
だからこそ、必要なものを全て与えられている。

ここでいう執着は、
『魂がこの世で体験をしたがっている』という証しでもあるわけで、
とても重要なものなんですね。
でも、そういった純粋な欲求を無視したり誤魔化しているスピリーダーが多いと感じます。

結局は、今世、自分は何を体験したがっているのか、が大切で、
それが魂の声だということです。

ただ、多くの場合、カルマやエゴに引っ張られて、
魂が望んでいる体験(学び)ができないまま生を終わらせてしまう。

重要なのは、上辺だけの悟りや覚醒やワンネスではなく、魂が望む『体験』だと思います。
なぜなら必要な体験(プロセス)を経ていけば、
ある意味自動的に『最終=無』にたどり着くからです。
※そこは悟りも覚醒もワンネスもない境地。

なので、自分を見つめて、
自分の中のどんなカルマや恐れが『本当に体験したいこと』をブロックしているのか、
ということに気づき、そのつど軌道修正していく必要があると思います。
でないと次のステージ(必要な体験)に行けないからです。


かくいう私も、今世、自分が最終的に向かおうとしているところへ行くには
現実的な体験(願望)を通して克服していかなければならないことがあり、
今はその大きな夢に向かって多くの時間を費やしている状態です^^

私にとって、限られた時間の中で魂に必要な体験をしていくことは
「何を選んでも自由」という呑気なものではないので、
賢い選択 をしながら、
与えられた(=自ら選んだ)この生で、魂を活かす道を全うしたいと思います!!


また更新がいつになるか分かりませんがあせる
いつか更新したいと思います笑

ちなみに、いいね!はできていませんが、
数名の方のブログは定期的に読ませていただいてますラブラブ
ありがとうございますハート



昨年末、もうそろそろ自分が次の段階に入っていく、ということが分かり、
自分が気づいたこと(授かったこと)は、そのためだったのか、
と感慨深いものがありました。

でも、次に進むべく道に気づかせてもらっていながら、
ぐずぐずと先延ばしにして停滞していた私 (・_・;)

人は、無意識に痛みや苦痛を避けようとするから、
変化を恐れて、知らず知らずブレーキを踏んでいることがある。
私もその一人。
自分の意識では恐れなんて感じていないのに、
本当は、とてつもなく恐れていたことに気づきました。
次に進む道の、さらにその先 を…

そこを垣間見た時、恐怖に震えた。
嫌だと思った。
恐いと思った。
のちに自分がそこへ行くのかと思ったら、
本能的に尻込みするほど受け入れ難いことでした。
だから無意識に、
いろいろと言い聞かせながら、「今」にしがみついていた、ということがわかりました。

でも、留まることは許されなかった。
そりゃそうだ笑
次の道が見えているのに、それをやらないということは、
自分が今まで気づかせてもらったことを無意味にしてしまうし、
なによりも自分(魂)との約束でもあるのだから、腹をくくって次に進まなければ。

幸い、自分の無意識が何に恐れているかにも気づけたので、
今までよりも更に一つ、自分を強く自覚できたように思います。

というわけで、
とりあえず次のステップを踏もうと思いますので、
いつも読んでくださっている方々に
ありがとうございますハート
の感謝の気持ちと、
今後のブログ更新は、これまでよりも、もっと間が空くかもしれません m(__)m
ということをお伝えしておきます