娘の幸せは母の幸せ | ブットラー惠子 個人向け グローバルキャリア&ビジネスコーチング

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ドイツ会社員歴約20年。【海外で働きたい!】という夢やキャリアパスや仕事の悩みを解決思考力&行動力アップの方法をお伝えします♡

こんにちは

 

ドイツより、ブットラー惠子です。

 

 

昨日投稿した記事が

トピックスにピックアップして

いただきました☆彡

 

https://ameblo.jp/kristallzucker/entry-12529703775.html

 

数日かけて書いてきた
「とある女性のドラマのような…」
シリーズだけに、とっても嬉しいです。

 

スタッフの方々、

読んでくださった皆さま、

どうもありがとうございます。

 

 

女性の自立、生き方について

一緒に考えていければ、と思いで

書き始めました。

 

また後日、少しずつ「クレ」の

その後について書いていきたいと

思います。

 

 

 

さて、私自身はというと、

ドイツに住み始めて

18年目に突入しました。

 

 

2002年の春頃、初めて
「ドイツに行きたい」と
母親に言った時
 
「だめよー!
あなたが家を出るのは
お嫁に行くときだけ!」
 
と、母はすかさず
ドイツでの語学留学に反対しました。
 
 
その反対を押し切って
2002年の9月27日に
トランク一個でドイツに出発。
 
 

 
 
あれから18年、早いものです。
 
 
 
私は自分の進路について、
両親からあまり賛成してもらった
ことがありません。

 

高校の進学の時には、

その高校からじゃ、

いい大学に行けない、

 

大学受験の時には

「そんな進路じゃ

将来就職できない」とすぐに

却下されました。

 

なので、しぶしぶ諦めて

親も納得する進路を
歩んできました。

 

 

でも今思えば、、

反対されて腹を立てながらも、

両親の反対を無視するほどの

情熱や決意もありませんでした。

 

どこかで両親の言うことが

正当だと分かっていたのかも

しれません。

 

 

そんな両親の反対を初めて

 

押し切ったのが

 

ドイツ語学留学。

 

 

母親は冒頭に書いた通り、

めずらく声を荒げて反対しました。

 

父親も

「女性の幸せは結婚して

子供を産むことだ」と

よく分からない理由で反対しました

 

 

でもこの時ばかりは

譲りませんでした。

 

これを諦めたら自分が

幸せになれない

 

この時ばかりは、

そんな気がして

仕方ありませんでした。

 

 


とは言っても、

ドイツに向かった時は、

あいさつしかできないぐらいの
語学力。

 

別にドイツ人の恋人が

いた訳でもないし、

 

ホームスティ先の家との交流も

夕飯の時ぐらい。

 

それにドイツで就職したいけど、

どうすれば出来るのかも

分からない。

 

だから当然、

 

最初は焦ったし、

孤独だったし、

不安でした。


 

泣いた日もいっぱいありました。

 

 

でも「ドイツで生きていきていきたい!」

という思いは変わらず、

 

必死に勉強も就職活動もしました。

 

自分で決めた道だったから、

自然と一生懸命頑張れました。

 

 

そうしたらそのうち、

ドイツ語も上達してきて、

友達も恋人もできて、

念願だった就職もできました。

 

 

 

だから、本当に「これだ!」

というモノが見つかったら、

 

周りの人の声ではなく

自分の気持ちを大事にする、

 

そんな時があってもよいと思います。

 

 

反対されてあきらめたら、

そのことを人のせいにして

ずっと後悔するかもしれません。

 

結局、反対されても

最後の決断するのは自分です。

 

 

ちなみに、

私がドイツに移住して数年後、

母からこう言われました。

 

「惠子にはドイツは合っていたのね」

 

 

娘の幸せは両親の幸せ、

そう思ってくれていると良いのですが。

 

 

決断を迷っている全ての方へ☆彡