問題があるか?


物質次元は二元性の宿命があり、


表裏、明暗、晴れ雨、上下、寒暖、喜び悲しみ、生死、健康と病、必ず二つあるが、


そこに問題・非問題を定義しているのは、人のエゴだけだ。


育てていた花が枯れると、枯れた事を悪とし、「あぁ、せっかく育て上げたのに」「なぜ枯らしてしまったのだろう」と後付けのラベルを貼り付ける。


だが、枯れることに善悪はない。


すでにそうなったのだ。


芽が出る、枯れる。両方とも完璧な現れだ。


「今の社会?」「政治の裏金?」「与党の完全崩壊?」


それを問題と言っているあなたのエゴが「それはいかん!問題だ!」「けしからん」と言う。


いつの時代、必ず善悪はある。


高い低い?どこからが高い?何センチが低い?基準は?


その基準を作り出しているのは誰か?


あなたはそれをコントロールしようとしてるのか?


唯一できる事は、目の前の手先にある仕事に、やるべきことに集中するだけだ。


社会(外側)に目を向けるのはナンセンスだ。


内側(神の意志による肉体精神機構の働き)に目を向けて見よう。


これが聖典バガヴァッド・ギーターの教えだ。