お互いファン同士だったドン、ベジャール、三代目市川猿之助(市川猿翁)

13日に市川猿翁(三代目市川猿之助)さんが亡くなりました。
香川照之さんのお父さん。
ここ最近、澤瀉屋は次から次とすごいことが起きてましたね😭

次のブログは何を書こうかな?と思っていたところ、訃報に触れたので、1982年の、ドンさんと猿翁さんの対談について書くことにしました。


抜粋です。
画像は、その時のものではありません(著作権に配慮)。
ひたすら真面目に芸術について語りあっています。
でも、なるほど……と思うお話しばかり。
「ベジャール、ベジャール、ベジャール」と、その場にいない人の名が頻繁に😅

🍀🍀🍀🍀🍀

猿之助「この間初めてベニスのフェニーチェ劇場で、ベジャールさんの『ライト』という作品を見させていただいたんですけども、そこに何か、歌舞伎のセンスといっては変ですけど、すごく近いようなものを感じたんです」
ドン「ベジャールはとても東洋の芸術に興味を持っていて日本の芸術を勉強しています」

猿之助「日本の音楽というのは、極端なことを言うと間をつくるための音をあるというんです。西洋の音楽というのは音をつくるでしょう。日本の音楽というのは空間をつくる、その空間をつくるために、この音と音とがあるという違いなんですよ、極端にいうと。そういう意味の間の生かし方、それを『ライト』を見て大変感じた。ベジャールさんは、その精神がすごくわかっておられるので、びっくりしたんです」
 
ライト



猿之助「ヌレエフさんと、1977年にちょうどモントリオールで歌舞伎公演をしたときに、同じ劇場だったんです。それで一緒にお話しして~略~私と同い年なんです。
それで、あんたは若くてうらやましいと言われましたね。バレエはだいたい四十くらいまででしょうって、彼は言ってましたよ。歌舞伎俳優は四十からがいいんですといったら彼は大変うらやましがった」
ドン「本当にうらやましいよ(笑)
もう四十か、遅くとも四十二歳になると、もう、別な道を探さなくてはなりません」



ドン「ベジャールはよく言うんです。自分はアンテナだと。いろんなところからいろんなものを取り寄せてきて、それを今度新たに分けていく、そういうアンテナの役目をしていると」





歌舞伎が時々、とても低次元な解釈をされてしまうという猿之助さんのお話しに対して、自分のやり方を貫いた方が良いと励ますドンさん。

ドン「ベジャールの場合も、最初は非常に評判が悪くていろいろ言われたんですけど、ベジャールはそれでやると貫き通した。ですから、演出はぜひその線でやってください。長く続けられることが大事ですから」




猿之助「私の祖父(初代猿翁)がロンドンでニジンスキーの踊りを見たんです。ロシアンバレエですか当時の。で、大変感動しちゃったわけです、大正八年ですが。
日本舞踊というのは平行しかないのね。お客さんに対して。ところがバレエは舞台を縦に使う」
日本舞踊とバレエについて語る猿之助さん。
ドン「今、おっしゃったようなことの逆のことをベジャールは受け入れていて、余り動きがなく、横に動いていく、そういうことをベジャールは考えている。だんだん両方でいいものを取り入れてきている」

まるでベジャール解説者のようになっているドンさん
猿之助さんがベジャールとの仕事を希望したら
ドン「帰りましたらベジャールと話し合います」
と。

残念ながら実現ならず。




🍀🍀🍀🍀🍀

私自身、香川照之という俳優が出てきてから知ったことなのですが、香川さんのご両親は香川さんの幼い頃に離婚。
三代目猿之助は、初恋の相手であり、師匠の奥様であった藤間紫さんとよりを戻しました。
師匠の妻である紫さんと交際→浜木綿子さんと結婚→離婚して、まだ人妻の紫さんと同棲
のようです。


香川照之のご両親、三代目市川猿之助と浜木綿子さん。

ここには転載しなかったけど、対談の中で、師匠であり、恋人の旦那さんでもあった藤間勘十郎さんの名も語っているのが驚き。
82年の時点では、藤間紫さんはまだ旦那さんと離婚していないので。
よくわからない世界😰

成長し、お父さんに会いに行った香川照之さんに猿之助さんは「あなたは息子ではありません。今後あなたとは二度と会わないけれど、そのことをよく心に刻んでおきなさい」と言ったんですよね。

でも、いろいろあったけど、香川さんが歌舞伎役者となった時、猿之助さんは浜木綿子さんに「ありがとう、浜さん」と、感謝の気持ちを伝えた。
確か香川さんも「お母さん、ありがとう!」と言ってました。




テレビで見ていた、あの時の私の涙はいったい……😭

香川(中車)さんには心を入れ変えて、また頑張っていただきたいです。

 『ライト』