✳2020年10月10日に投稿したブログに加筆修正をしたものです。

ベジャールとドン


ディアギレフとニジンスキー

ネットを見ると、某芸能事務所での、少年達に対する性加害問題と、このカップル達のような男性同性愛者達が同一視されてるのが散見され、驚いています😨
今って令和ですよね?
こうして同性愛者に対する偏見はまだまだ無くならないのですね。

異性愛であれ、同性愛であれ、論点は同意だったのか、加害だったのか、です。
「異性か同性か」ではなく「同意か非同意か」です😨
まあ、90%以上の人達は理解していることだと思いますが。


数年前、BBLが無料配信していた、ベジャールの日本での講演会。

(2020年10月から見て数ヶ月前)



確か、内容の一部が昔のダンスマガジンに載っていたと思います。

あの映像を観ると、ベジャールは日本語をある程度理解していたとしか思えませんびっくり

通訳さんが日本語で訳し終えた瞬間をベジャールはわかっているのですね。
間をあけず続きを話し始めるのです。

また通訳さんの話す日本語に合わせてベジャールが身ぶり手振りをしてみせたり。

やはりかなり耳の良い人なんですね。

(確か)ダンスマガジンには、載っていない部分ですが、質問コーナーで次のようなものがありました。

要約すると

「ディアギレフはニジンスキーを失って以降、変化があったと思いますが、ベジャールさんはジョルジュ・ドンさんが亡くなり、やはり変化はありましたか?」

という趣旨のものでした。

「ベジャールとドン」「ディアギレフとニジンスキー」は、よく比較されました。


ベジャールはこの時、ドンさんについてあまり語る気分ではなかったのだと思います。

答えはとても簡潔で、

「私とディアギレフでは立場が違う。私は創造する人間だが、ディアギレフの仕事・立場は別」

と、要約するとそんな意味の答えをし、ドンさん亡き以降の自身の変化やドンさんについては何も語りませんでした。




この2組のカップル

似ているのは、奇跡的な出会いで、素晴らしい芸術を創りあげた点です。

でも役割が違うと仕事における関係も微妙に違ってくる。

私生活での2組はもっと違う。

ディアギレフもニジンスキーも、先ずは自分自身を最も愛しているのです。

他人を愛せないわけではないけど、自身に向ける愛に比べると、非常に乏しい😢

その点はある意味2人、とても似ている。

ストラヴィンスキーを挟んで
珍しく3人全員が和やかな表情


夢見るニジンスキーに、ディアギレフの俗っぽさ……俗っぽいけど高い審美眼を持ち合わせている点は、不器用な天才ニジンスキーをじゅうぶんにサポートした。

でも、あの人達は結構自分中心😢
(ニジンスキーの奥さんも同じ)

ディアギレフはニジンスキーを愛したんだけど、実は自分で思うほど愛してはいなかった。

逆にニジンスキーは、ディアギレフを愛していないと思っていたようだけど、実は情が移っていたとしか思えない、
というすれ違いが悲しい😢

この場合、別れた後、早く吹っ切れるのは、やはりディアギレフの方。

ニジンスキーをあそこまで甘やかしてくれた人は後にも先にもディアギレフ一人だったでしょうから、嫌だ嫌だと思いながらも知らぬ間に情が移るのも不思議ではない。
その甘やかしの実体が、“支配”だったとしても。

飴と鞭。
そうだとわかっていても、情が移るほど、ニジンスキーは孤独だったと思う。

でも……

ディアギレフは俗っぽ過ぎる故に愛において不器用、ニジンスキーはピュア過ぎるが故に愛において不器用。

ひとりの女性あるいは男性と、しっかり真摯に対峙し、その欠点も含めて愛し奉仕するという経験はついぞなかった。

ただし、発狂直前~と言うより過程で~ディアギレフとの関係に対峙し、投函するつもりはなかったであろうディアギレフ宛の手紙「男から男へ」を書いたニジンスキー。

しかし、どうであれ、ディアギレフに別れを告げずに出会ったばかりの女性と電撃的に結婚したことは、裏切りにあたるのだという事に果たして気がついていたのかどうか?😢

神が、神が、という壮大な愛を否定するつもりはないけど、私はやはり目の前の、欠点のある人を愛せる方がすごいと思います。



そこで再びベジャールとドンさんを見てください。
カップルとして、全然違う。

「ベジャールのために踊る」
「ベジャールが喜ぶのなら、他にどう思われようが関係ない」
「君が衰えても、それに合わせて僕が振り付けるから何の問題もない」(ドンさん談からの推測)
そして、ベジャールがドンさんに向けた数々の賛美の言葉。
なんと利他的な。
しっかり向き合ってる。




鈴木晶さんの文章

「ベジャールとドンの関係は幸福な出会いなどという生温いものではなかったであろう。安っぽい言い方になるが、文字通り命をかけた格闘だったに違いない。その格闘の中で、ドンはたえずディアギレフとニジンスキーの関係に思いをいたしていたはずだ」

鈴木さんのこの文章以前に、別な方がベジャールとドンさんに関して「幸福な出会い」と書いているのです。
それへの反対意見なのかな?と、思いました。




どちらも正解だと思います。

幸福な出会いであり、そして格闘した。

矛盾しませんよ?

ただただ楽しいだけでは、ストイックな人はいずれ飽きちゃう。

「私たちはお互いを知りすぎるほど知っている」(ドンさん談)

だから、相手が何を望むのか知っていて、それを与えあう。



ストイックなドンさんが“自分自身あるいはベジャールとの闘い”を好むことをベジャールはよく知っている。


振付けとして、闘いを与える。


そしてドンさんは、「自分とニジンスキー」を重ねることはちょくちょくあっても、「ベジャールとの関係」を、ニジンスキーとディアギレフのそれに重ねるってことは、さほどなかっただろうと私は思います。

なぜなら、ドンさんの答えはたいてい(一体化している)ベジャールの中にあるからです。

「ベジャールとディアギレフは違う」

ベジャールが質問に答えた、これがドンさんの答えでもあるでしょう。

立場も人間性も、まるで違う。

(ましてや某芸能事務所の元社長とは人間性がまるで違うでしょう😨)




ディアギレフとニジンスキーの間には、美をめぐる対等な闘いもなかった。

だから、「ドンとニジンスキー」の比較はおもしろいんだけど、カップル同士の比較は「全然違う人達」だと思っています。

ただ、ドンさんが「ニジンスキーはディアギレフを愛していた」と解釈していたなら、2つのカップルを重ねた可能性はあったと思います。



さて、ドンさんの思いは?

🌹🌹🌹

↓この映像を初めて観た時は、興奮、興奮でした(*゚∀゚)=3

ニジンスキーを観た気分に、ちょっとだけなれました。

ロシアのクリエイター達が、ニジンスキーの写真をアニメのように繋げたようです。

最後の方の絵は、ニジンスキーが描いたもので、曼陀羅に当たるとのではないかと言われています。