『1789…et nous』リハーサルのベジャールとドンさん
本番では鼻の下の線は落としたみたいです(良かった)😅


ベジャールの遺灰が撒かれたのは、てっきり故郷の地中海かと思いこんでましたが、オステンドから北海に、だったんですね。

それなら私、ベジャールの遺灰が撒かれたあとにその海を渡ったことがありますわー

うれしい!😭

そして2人が歩いているここは同じベルギーのクノックからの北海です。

(この画像ドンさんの身内にパクられてました)
(ブログを読んでくれているようでコメントをくださいました)

はぁああ、この海だったんですね

しみじみ🍵


本題

✳以下は2020年1月14日に投稿したブログに加筆修正したものです。

2001年に撮影された
『ベジャール、バレエ、リュミエール』

涙無しでは観れないです

ジョルジュ・ドンはもういないし、ベジャールはドンさんについて語ってはいない

でも、ベジャールの心の中にその存在は大きく……


撮影時ベジャールは74才
亡くなる6年前ですね



ベジャールが『リュミエール(光)』という作品を振付けてゆく、その過程を追ってます。

ドンさんがいないぐすん

いないようで、いる。

でも、やっぱりいないぐすん

まずは、エリザベット・ロスさんと、オクタビオ・スタンレーさんの『ボレロ』からスタートします。


自身がテーマとした「光(リュミエール)」を、ベジャールはいろいろな側面から捉えるのですが、
ざっくりと二つにわけると

「バッハの抽象的で崇高な光」
「友人たち(歌手のバルバラとブレル)が歌いあげる日常的な光」

これをひとつにまとめあげるのが、ベジャールの目指すところなのだそうです。

ベジャールは人間にとって光はいかに重要かを語っていました。

ジュリアン・ファヴローさんは、美男の方の道化役
ファヴローさんは、今や次期(暫定的)芸術監督さんに


映画の監督は、クリエイターの立場からクリエイターを撮るという気持ちで撮影を続けたそうです。

「何でも撮ってかまわない」
と言っていたベジャールが、突然心を閉じる瞬間があり、そういった時の“創作の苦しみ”が非常によくわかったとパンフレットで語っています。

食事するところを撮ろうとしたら
「ノンノンノンノン」
と言ってドアを閉めてしまう。
この辺りから苦しみが出てきたのかもしれません。

その後に自分が追う“幻影”を甦らせたいためか、ドンさんの映像をスタッフに探してもらいます。
(ベジャールは自分が見た幻影をもとにバレエを創ることが多い)

ドンさんの映像が見つかった時には
「よしあった、ホッとしたよ」
と言い、しばらくじっと観ている。

バルバラの歌う「赤い服の男」が流れる。

🎵現れ
消えた
光から生まれた魔術師
私に返して
人生を赤い花に変えた彼を🎵

その曲と共に現れたのは、『そして私はベニスに生まれた』の中で赤い服を着て踊っているジョルジュ・ドン。

横にいるフィリップ•リゾンも最近亡くなったようですね😢






その後もベジャールの苦悩は続きます。

舞台上で流す映像のチェックの時には、声こそ荒げないけれど、担当者達に内心相当怒っているようで
「やめろ、もういい」
「違うと言ったら違うんだ」

その不安、イライラが、落ち着きなく動かしているベジャールの指に現れています。

何とか野外ステージのリハーサルまでこぎつけると、今度は大雨。

ジル・ロマン
「何もできない」
ベジャール
「そうだな、何もできない、待つしかない」

振付とダンサーの踊りは完成しても、やはり映像担当の人達が不備をおこし、どうしてもベジャールをイラつかせてしまう。
「もう沢山だ」
と、立ち去るベジャール。
踊りは完成しても他がまだダメだと全体像が掴めない。

(ベジャールとドンさんが“日本人との仕事はスムーズ”とたたえる気持ちがわかります)



でも、ダンサー達と共にいる時にはニコニコ
ダンサー達にはメチャ優しい



出演しているダンサーは、
ジル・ロマン
エリザベット・ロス
オクタビオ・スタンレー
ジュリアン・ファヴロー
小林十市
クリスティーヌ・ブラン
など

みなさん素敵です。



オクタビオがまた良い個性を出していて、振付中ベジャールに
「できた!とても綺麗だ!」と、ほめられたのに「大きく跳べ」と言われたら

オクタビオ「無理です」
ベジャール「え?」
オクタビオ「滑るし」
😱😱😱



無事、初演をむかえました。


テーマである「光」の中の、ドンさんの存在ですが……

創作中、ベジャールがドンさんの映像を観ているシーンが二度あって、先に書いた「赤い服のドン」と「海から現れるドン」です。

ちょっと話がそれますが
良いことではないのですが、ベジャールからドンさんへの手紙が世に出てしまっていまして……。

ベジャール本人が亡くなってから私信が出るなんて酷い!と思っているし、ベジャール財団も困っていることなのですが
(財団が公にこのことに触れるまでは、一応ブログに書くのを控えてました)

ベジャールは仕事でドンさんのもとを離れると毎日のように手紙を送って、その日にあったこと、考えたこと、そしてドンさんへの愛の言葉を

ドンさんへの愛の言葉の中に
「私のリュミエール」とあったのです。

これってフランスの愛の言葉として定番なのでしょうか?
それともベジャールのオリジナル?

わかりませんが、そこを含めて私は泣いてしまうのです。

映画はドンさんが亡くなって9年後の撮影ですが、ドンさんはやはりベジャールのミューズであり続けたのですね。

光と共に生まれでたドンさん
こちらはベニスの海