2019年11月22日に投稿したブログを加筆修正したものです。
今日はジョルジュ・ドンの御命日です。
亡くなったのは1992年、45歳。

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ベジャールの自伝②の中の、何度読んでも泣いてしまう箇所

「11月30日、月曜…。
ドンはその晩の7時から8時の間に死んだ。
冬だった。暗かった。
私が彼の腕を握りしめているうちに、彼は息絶えた。
私は、迎えにきた車に乗って、今すぐ病院に行くようにと言われたのだった。
ドンは左手の小指に、私の母の婚約指輪をしていた。
それは、私が以前彼に託したのだ。
この宝石には特別な思い入れがあって、そのために私はそれをドンに託したのだ。
ドンは、この指環に私のどんな思いがこもっていて、私がそれをどんなに大切にしているかを知っていたので、それをはめて幸せだったのだ。」


ベジャールは、フランスでの仕事をキャンセルし、ドンさんの病院に毎日通ったのだそうです。
ドンさんのベッドの横にはベジャール用の肘掛け椅子が置かれていました。

ドンさんは指環が大好きで、とっかえひっかえつけてる人でしたが、最後にはこの指環をつけて死ぬと決めていたのではないだろうか?

亡くなる前、自分自身の指環を友人達に形見としてなのか、あげていたそうです。

それから、ひとつの指環を「いつか自分に似たダンサーが現れたら、これを渡してほしい」と、ベジャールに託しました。
それを受け取ったのは、ドンさん亡きあと入団してきたジュリアン•ファヴローです。
96年、ドンさんと、同じくエイズで亡くなったフレディ・マーキュリーの2人を追悼する作品『バレエ•フォー•ライフ』で、ファヴローはマーキュリー役を踊りました。

ドンさんとファヴローのどこが似てるかって私には言語化不可能。
それこそ、考えるな、感じろの世界。




ドンさんが亡くなる瞬間までつけていた“ベジャールのママの指環”はどれなのか、日本語の記事を読みあさっても、どこにも書かれていませんでした。
なので知ることもないだろうと諦めていたのですが。

ある時「でもやっぱり知りたい」と、思い立ったら………

結構呆気なくわかってしまいました。

ベジャールが海外のインタビューで、母親の思い出を語っており、そこに形見の指環の事も書かれていたのです。

金の指環、ベジャールの小指、内側にはベジャールの父親と母親の名前が刻まれている。

女性物だからベジャールやドンさんがつけるには当然小指になるのですね。

その記事を読み終わった直後、携帯の画像フォルダのひとつを開いたら偶然最初に出てきた画像がこれでした。


ベジャールに
「ほら、これだ、君が知りたいのは」
と、言われたような気分でした。



それから、それまで見慣れていた画像の中の彼らの指環を改めてよく見てみました。

ベジャールはドンさんにその指環を渡す前はずっとつけているのです。






いかに特別なものか、よくわかります。

この指環に関しては、ベジャールの自伝①にもちらっと書かれています。

ベジャールの幻想の中で、とうに亡くなった母親を自分のバレエ公演に招待する。
ベジャールは母が来てくれて嬉しく、幸せでたまらない。
母親はベジャールの手に触れた時、息子が自分の指環をつけている事に気がつく。

「おやおや、モーリス!
これはどこにあったの?
午後からずっと探していたのよ。
さ、返して、いいでしょう?」


ママとベジャール


79年出版の本なので、書いたのはおそらく78~79年。
なので、その時にはまだベジャールが持っていたのでしょう。

で、それ以降さっぱりつけなくなっている。
ドンさんに託したからなんでしょうね。



ドンさんに託したのはいつなのか?

ドンさんは、人前ではなかなかつけなかったのだと思います。

私が確認できた範囲では、81年の森下洋子さんとの『ライト』を踊っていた頃にはつけていました。

(ショナさんと)

ショナさんも気がついたんじゃないかな?

モーリスがいつもつけている指環がドンの指にある事を。

ショナさんは、ドンさんが亡くなった後
「ドンにとって、ベジャールがただひとつの世界だった」
と、語っていました。

こちらは84年のドンさん



この指環、ドンさんは「いつか返す」と言っていたそうです。

約束通り88年頃にいったん返し(?)、そしてまた自分に渡してもらったか、或いは二人の共有物になっていたのかな?

ずーっとつけてない様子のベジャールが、88年89年にちょっとだけつけてました。

88年


89年、フランス革命200年記念イベント
『1789…et nous』リハーサル中。
この時もベジャールが



この指環、遠目で画像が荒かったり、光の加減によっては、肌の色と同化し、全くつけていないように見えるのですが……

「全然つけていないと思っていたら、実はつけていて、よくよくみれば確かにうっすら見える画像」
を、たくさん見慣れたので「うっすら」くらいでも、だんだん発見できるようになってしまいました。

例えばこの画像も、つけていないようでつけてるんです。

で、この83年の画像も
「うっすら見える画像」を見慣れた私にはつけているように見えるんだけど、どうかな…。

youtubeから画像お借りしました。


こちらもいっけんつけてないように見えますが

モノクロだとハッキリわかります。

その他90~92年は、どの国の画像でもつけてます。

(アルゼンチンで)

最後の踊りとなった92年7月の『ボレロ』のリハーサル画像でもつけてました。
(日本の雑誌に、つけてる写真がたくさん載ってますが著作権配慮のため載せませんでした)

ベジャールの方がこの指環を所有していて長年つけないというのはあり得ないので、どちらもつけてない時期は、たぶんドンさんの元にあったのだと思います。

全ての画像を見たわけではないけど、かなりの数を見ての判断です。

ドンさんが亡くなる時に、ベジャールの指環をつけていた事をベジャールが自伝に書いてくれたのは本当に良かったです。

それひとつで、だいぶドンさんの心がわかった気がします。

パートナー達はペアの物を身につけたがりますが、一体化の進化系は
「愛する人が最も大切にしているものを自分の身につける」
なのかもしれません。



これゆえ私は、あの2人は27年間、真に心が離れた事などないのだと判断したのです。

心離れたら単に仕事のパートナーでいれば良いし(イヴ・サンローランがそうしたように)、相手が買ってくれた指環なら別れた後も持っているのはあり得るけど、よその家の大事な形見の品など絶対返すはずだから。

でもドンさんは結局死ぬまで返さなかった。
指環とっかえひっかえする人が、この指環は死が近づくにつれ、ずっとつけている。



そして、ドンさんが亡くなった後は、再びベジャールの指に。
またつけはじめました。


ドンさん亡きあと、ヴェネツィアの宝石店でベジャールはドンさんが見たら絶対欲しがったであろう指環を見つけました。

「なぜ死んだ人には指環を贈らないのか?」
ベジャールは亡くなったドンさんのために指環を買うつもりでしたが、買物が出来る最後の日にその宝石店はシャッターを閉じていたのでした。

ベジャールの2冊目の自伝はドンさんを亡くした悲しみに溢れています。

後に創ったバレエ『リュミエール』は、明らかにドンさんをミューズとしているし

亡くなって10年経った年のインタビューでは「この10年ドンのことばかり考えている」と語ったそうです。

亡くなってからもずっとベジャールに愛され続けたドンさん。

2人とも天国でお幸せに。