※2019年10月23日に投稿したブログを加筆修正したものです。

⚠️ネタバレ含みます⚠️

『愛と哀しみのボレロ』
リハーサル中のベジャールとジョルジュ・ドン


戦争が終わり

次の世代の活躍が始まります

国に妻がいるカールの子を、彼に知らせず産んだエブリーヌ



その娘エディット

母は亡くなり、父を知りません
婚約者がいるパリに向かいましたが、その婚約者は迎えに来ませんでした



収容所から生きて返ったアンヌは、子どもを探し、かつて赤ん坊を置いた場所に通い続けます
何十年間も



娘エディットの存在を知らぬ指揮者カールは、過去のナチスとの関わりを批判されながらも活動を続けます



アンヌの赤ちゃんは、神父の家で無事に成長しています

養父母に愛されて育ち、一人前になったものの、美化もされず(笑)、結構悩んだりグダグタしながら生きてます



話が戦中に戻りますが、ナチスがある学校にやって来て、ユダヤ式の割礼を受けている子がいないかどうか調べるという緊張のシーンがあるのですが、ユダヤ人の男の子は女性教師の機転により連行を免れます

でも、その子、両親が連行される時に「僕も行く」と言って、両親が彼を隠した箱の中から自らの意志で出て来ちゃうんですけどねぐすん(切ないシーン)

で、アンヌ夫妻と同じ列車にいたのです

そのユダヤの男の子を庇った女性教師も旦那さんは戦争先で亡くなり
その息子が成長してから、アンヌの息子と親友になっています(仲間からデブと呼ばれている)

前列左から2番目、まだ再会できていないアンヌの息子
右から2番目、仲間から愛を込めて“デブ”と呼ばれている女性教師の息子
そのすぐ後ろが年をとった女性教師
後列右から2番目にはエディット

エディットは、同じパリ行きの列車でデブ達と乗り合わせました

そんな風に、こちらの人々(les uns )と、あちらの人々(les autres )が交差していきます



成長したセルゲイは

パリで成功


そして、自由を求めて亡命




この映画のセルゲイ役は、よく知られているように、当初監督は、抜群の知名度を持つヌレエフを考えていました

依頼するために、ヌレエフと食事をした監督

が、ヌレエフは「『ボレロ』は使うな、ベジャールも介入させるな」だったので、イライラした監督は「ベジャールと仕事をする方が良い」と、判断

そのためか、ヌレエフをモデルとした亡命のシーンは、あっさりとしています


アンヌは旦那さんを収容所で亡くし、探し続けた子どもにも会えないためか、精神を病んで精神病院へ


人から聞いてやっと自分の母を探し始める息子

何とか探し出しました

ところが、グダグタ息子は、正気を失っている実の母親に戸惑い

なかなか近寄ろうとはしない



やっと歩み寄って行ったのですが……
母親が自分をちらっと見たきり反応がないので、すぐ引きかえそうとします

(何してんだ、息子アセアセ



思い返して、また近寄り、そしてやはり反応のないまま立って歩き始めた母に、どうしたら良いのかわからないためか、また帰ろうとします

(こらーっ!)




去ろうとする息子が再び振り返った時、母アンヌも振り返って息子の方を……



ボレロの曲が流れる中、ハラハラの長まわしです


ルルーシュ監督は、当初ここで映画を終わらせようとしていたのではないだろうか?

『ボレロ』を最後に持ってくるというのは、ベジャールの提案だったそうです




ラストの『ボレロ』が、始まります!



続く