ある日。
お客さんから、こうのように
言われた(突っ込まれた)のだった。
に~ちゃん
地震か?
私はソーサーを持って
コーヒーを出そうとすると...
緊張で
手が震えたのだ
出前に出ることが多かった私は、あんまり気づいていなかったんだけど、
プルプル
していた。
この辺の事をズバっと言うのが大阪の人らしい。
田舎の人なら、分かっててもスルーだろう(笑)
私は恥ずかしさで
いっぱいだった
その日、学校に行く前。
私はスーパーで「カップ&ソーサー」を購入した。
練習用に
日々のトレーニングでコツをつかみ(ソーサーを持つ場所によって安定することが判明した)、この4カ月後、私は両手で3個のコーヒーを持つところまで成長するのだった。
コーヒー院での思い出と言えば、
私は最初の頃はお弁当を作って持って行っていた。
最初はやる気満々だった(笑)
裏の休憩室で、ママさんと一緒の日に
やまちゃん(私のニックネーム)、自分でお弁当作ってくるん?
どんなん作ってきたん?
と言われ、見せていた事がある。
とはいえ、玉子焼きやハムが入っている簡単なものだった。
しかし、だんだんと起きる時間がギリギリになってくると、お弁当の中身は...
ふりかけごはん
になっていた
ある日も、ママが一緒の時...
今日はどんなんなん?
と言われ...
いやいや、スンマセン。
大したもん作ってきてないっすよ~
と、隠しながら速攻食べたことがあった。
ある日は...
出前にいったら、皿やカップを回収に行くんだけど、まれにサンドイッチとかが、ラップのしたにそのままって時がある。
そういう残りモンを....よく食べた
※歯形の付いてないヤツね(爆)
今から思えば....
落としたヤツかもしれなかったね・・・^^;
コーヒー院の客だが、ほぼ毎日同じ顔触れだった。
馴染み客で溢れかえっていたな~。
今、たこ焼き買ってきてんけど
食べる?
美味いねんて。
馴染みの美人客から「たこ焼き」の差し入れを、みんなでいただいたことがあった。
そのたこ焼きは当時は無名の
甲賀流 だった。
※写真は今の甲賀流
この時の甲賀流は、知る人ぞ知る店だった。
その1年後ぐらいかな?有名になったのは?
初めて食べた時は、
この世にこんな
うまいたこ焼きが
あったのか!
と、感動したのを覚えている。
そうそう。
一緒に働いていたもうひとのバイトの方だが、
元ホストでヒモ生活をしている人だった(爆)
働いているフリをしないといけなため、ココにいるらしかった
だから給料はどうでもよく・・・
そして、彼女は風俗嬢だった。
田舎から出てきたばかりの私とは、あまりにも違いすぎて、プライベートでの付き合いはなかったんだけど、風俗嬢のヒモ ってのが実在することはとても衝撃的だった
この人は、とても綺麗な仕事をするんだが(当時の私にはそう見えた)、難点は・・・・
無断欠勤だった
だから
7時5分に店にいない日は・・・
来ない日だった(爆)
しかしながら、他にバイトがいなかったので、そんな中途半端なバイトでも必要とされる... そんな時代でもあった。
この心斎橋コーヒー院で、約3カ月お世話になり、
お盆に帰省するため、私はいったん退職。
9月は、前期試験があるため勉強し
前期試験終了後
私は新しいバイト先に行くのだった。
そうそう。
夏休み明けに、武田くんから
夏休みな
3Pデビューしてん
との報告があった
つづく。。。
是非!