同情するという悪い習慣☆今日のココロのパワーアップ☆ | カラダ天使は乳酸菌とミネラルの発酵サロン!なのだ〜(笑)

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ココロカラダ研究所主宰、杉本天意が発信してます(*^^*)
ココロとカラダが喜ぶ秘密基地。
あなたのモビルスーツのメンテナンスにいらっしゃいませ〜。





うるさく騒ぐ頭を鎮めて
自然界へ耳を澄ますと
草木、鳥、風・・・


あらゆる声を聞くことが出来ます


それこそが神の声であり姿だと思います。



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同情するという悪い習慣



病を心配している者、


あるいは運命に泣いている者、


恋に悩んでいる者があると、



そこに行って、理由のない同情をして
相づちを打つことによって、


何か人間としての、
お互いの交わりに対する義務のようなものを
感じる人がある。



「病のときなんか無理もないわよね、
そんな病に。わたし関心しているのよ。

あなたなんか、まだ氣に掛けないほうだわ。
痛いでしょう、つらいでしょう!」



なんて言葉が礼儀だと思っているが、
それはまったく毒汁をなすりつけ合っていることだと
気がつかないんだ。



人々はそういうことを考えないで、
何でも、


心配や悲観のなすりつけ合いをすることのほうが、
同情的な、付き合いの豊かな
人間のように思ってしまう。



そして、悪い習慣を
悪い習慣と気がつかない。



運命共通の通用性のように間違えて
考えてしまうと、


人生の光明は、

ますますその光を衰えさせて、
結局は闇になるだけのこと。



本人の運命に対して、
本当のまごころから目を覚ませてやる努力

する人こそ、尊い存在だと言いたい。



暗闇のなかに目隠しをして
飛び込んで暴れている人間を、
そのうち明るくなったら
目が覚めるだろうというふうに見ていたら、

これは無理ですよ。



早く窓を開けて明るくしてやって、
目隠しを取ってやらなければ。




PHPほんとうの心の力       中村天風より



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脳みそを鎮めて


耳を澄ませば・・・



わたしは聖なる愛です
わたしは聖なる母の愛です