一昨年のセンバツで「腹を切りたい」などの舌禍事件を起こして物議をかもした開星高・野々村直通監督(60)が、定年退職後の今年4月から教育評論家へ“転身”することが1日、分かった。この日、島根・松江市内で同校の卒業式に出席。自身も、延べ35年間に及んだ監督人生を卒業した。
尾木ママこと尾木直樹氏(65)にも負けない、強烈な教育評論家が誕生する。奔放な発言で話題をさらった高校野球界の名物監督は、おネエキャラとは対照的に“任侠(にんきょう)キャラ”の羽織はかま姿で式に出席。今後について「野球はもういい。これからはアーティスト、あるいは教育評論家。強者が弱者を助ける社会にしたい。日本の教育について発信する」と、第二の人生の青写真を語った。
2010年春、21世紀枠の向陽高(和歌山)に敗れた直後に「末代までの恥」「腹を切りたい」などと発言し、高校野球界を揺るがす騒動に発展して監督を辞任。「死ね」と書かれた香典袋を送りつけられる嫌がらせも受けたが、保護者や向陽サイドからの嘆願もあって昨年4月に復帰し、同年の夏の甲子園で1勝を挙げた。教育を論じる上では異色とも言える経歴だが「逆に、これからはあの野々村かと目を向けてもらえる」と、むしろプラスに考えている。
本格活動を前に、卒業式終了後にはコラムニストの勝谷誠彦氏(51)と対談。4月には激動の半生を振り返る自叙伝「ヤクザ監督と呼ばれて」(仮題)を出版する。今後は生徒との絆を描いたノンフィクション本の出版予定もあるなど、“強い言葉の力”にオファーが相次いでいる。元女子高を強豪へと育て上げたカリスマ指揮官が、今度は教育界の論客へ。「今度は、底辺にいる子どもを更生させることを考えたい」。破天荒な野々村劇場はまだ終わらない。
◆野々村語録
「21世紀枠に負けたことは、末代までの恥です。もう野球をやめたいし、死にたい。腹を切りたい」(10年3月22日、センバツ1回戦で向陽に1―2で敗れ。日本高野連は発言を問題視し、島根県高野連を通じて学校側に事情聴取)
「心からおわびしたい。抽選会後は地元から『楽勝』『(勝利を)1つもらったね』と言われ、中国大会王者として負けたら恥ずかしいと正直思った。悔しくて情けなくて、自分が嫌になって、ああいう発言になった」(同23日、甲子園で謝罪会見。黒シャツに派手なネクタイ、銀色のスーツに先がとがった白の革靴姿で号泣)
「辞任を自らお願い申し出ました。ふるさとのイメージを高めようと頑張ってきたが、愚かな行為によってマイナスになってしまった」(同25日、松江市内で会見。黒のスーツの前ボタンをきちんと留め、紺地のネクタイを結んで)
「例えば、女房とキャンピングカーで全国各地の観光地を回り、似顔絵描きとして生計を立てるか。あるいはスナックのマスターにでもなって、お客さんの似顔絵を描くか」(10年6月、監督辞任後のスポーツ報知インタビューに。今後の身の振り方を聞かれ)
「感無量でした」(11年4月22日、監督復帰後初の公式戦、島根県春季大会初戦を白星で飾り)
「まさか甲子園に戻ってこられるとは思わなかった。1年半前と変わったところ? 談話の出し方ですかね。インタビューで少しオトナになったかな」(同年8月10日、甲子園1回戦で柳井学園(山口)に5―0で快勝した後のインタビューで)
◆自作似顔絵を贈呈 ○…美術教諭で「山陰のピカソ」の異名を取る野々村前監督は、卒業する野球部3年生21人に似顔絵入りの色紙を贈呈した。エースで4番だったソフトバンク・白根尚貴(18)へは「自分だけじゃなく、人のため、ファンのために野球をして」とエール。右ひじを手術して今季絶望の白根は「監督の言葉を力にして、しっかり体づくりをしたい」と恩返しを誓った。
◆野々村 直通(ののむら・なおみち)1951年12月14日、島根県生まれ。60歳。島根県立大東高では三塁手。広島大では主将として大学選手権に出場。74年に府中東(広島)の監督に就任、79年春に甲子園出場。83年に松江日大(現立正大淞南)監督。86年に開星(旧松江第一)に赴任し、88年の野球部創部とともに監督に就任。93年夏以来、春夏通算9度の甲子園出場に導く。最高成績は07年夏の3回戦。家族は妻と2女。