年齢のせいか「引退」について考えるようになった。

同い年の桑田・清原は一昨年引退した。

魔裟斗は30才で引退。

自分は今42才でもちろんプロアスリートではないけれど

趣味でやっている空手で黒帯取得を目指している。

技術や体力もそうだし気持ちの面でもいつまでやれるのかと思う。

今のところ衰えている自覚はないが10年後に同じ練習が出来るかと言うと疑問ではある。

これが10代や20代なら全然気持ちはちがうだろう。

10年後にはあらゆる点で現状より成長もしくは進歩しているだろう、

失敗したらやり直せばいいやと極めて楽観的に考えられた。




人生の引退は死ぬ事である。

そしてその時は確実に迫って来ている。

その弊害か残りの人生を計算して気持ちが前向きにならないという事が起こり出した。

「今からやっても....。」

「もう年やし....。」

確かに残り時間によってやれる事が限られてはくるかも知れない。

今からプロ格闘家を目指すのは事実上不可能だろう。

これが「老い」なのか?

可能性が一つずつ閉じていくのを受け入れる事が?

若い頃のようにまずやってみて

理屈は後からついて来いというような

勢いがなくなったのは仕方ないとしても、

色んな事を吟味し過ぎて結局何も出来なくなるという愚かさ。

経験や知識が増えて些細な事に動じなくなった反面、

ささやかな喜びに身を震わす事も減ってきた。

が、そんな日常に一撃カマしてくれる言葉と先日出会った。



10年後にはきっと

せめて10年でいいから戻ってやり直したいと思っているのだろう。

今やり直せよ未来を。

10年後か20年後か50年後から戻って来たんだよ、今。

(2ちゃんねるより)




42才になったんじゃない。

52才から神様が戻してくれたのだ、たった今。

さあ何から始めようか!


$観音寺道場DIARY


※犬の血が仕事でお客様にお送りしているニュースレター

「激刊!M好」2010年5月号より転載