前に書いたようにアウシュヴィッツに行く前に、予習をした。

「夜と霧」は有名だ。

けれど、翻訳物の本をどう受け止めるか、受け止め方のお手本が欲しいと思った。

 

そこでカメラマン大石芳野さんの写真集「夜と霧は今」を読み込んだ。

写真をじっくりと見る。

多くの写真はモノクロだった。

粒子は粗めなものが多い。

ざらついた画面から過去の事実を通してその酷さを告発しようという意思が伝わってくる。

子供の頃から読んできたナチスの非道さが、改めて突きつけられた。

 

だが、本は本だ。

 

もう少し、リアルな人の感覚を知りたい。

 

そう思っていたら、好機とはやってくるもの。

数少ないヨーロッパ人の友人、Robから「飲みましょう」と連絡があった。

彼はベルギーの内陸部の出身。

久々に熊本に来るということで、昔よく一緒に行ったビアホール「オーデン」で数年ぶりに杯を酌み交わすことになった。

 

 

何杯かビールを飲んだあと、会話の折を見て尋ねてみた。

−こんどポーランドに行くんだけど、Robとか現地の方から見て、ナチスとか収容所とかってどういうイメージなの?

すると

「眞藤さん、それは難しい問題です」

とおうむ返しに言葉が返ってきた。

 

Robの表情から笑顔が消えた。

「実際、日本人は知りませんが、ベルギーにも収容所があったのです」

この話題について、彼はそれだけいうと次の話題に移っていった。

 

その夜、家に帰ってからベルギーの収容所を調べてみた。

 

ブリュッセル北部にあるメヘレンという町の収容所のことがウェブ検索で出てきた。

メヘレンにはベルギー軍のブレーンドンク要塞を利用した強制収容所と中継収容所があった。

3,500〜3,600人の囚人が収容されたとされ、うち1,733人が解放されるまえに死亡した。またそのうち400〜500人がユダヤ人で、アウシュヴィッツへ移送されたようだ。

非ユダヤ人捕虜の大部分はベルギーの反政府左翼メンバーだったとされる。

 

その運営や摘発をナチスのドイツ人部隊だけがやったのだろうか。

そこが気にかかった。

 

 

もうひとつ。

ポーランドについて、クラクフの街を案内してくれたガイドのアンナさんに、ポーランドの方にとってドイツはどのような存在なのか尋ねてみた。

 

「見るとわかるようにドイツ車がたくさん走っています。経済的には密接に繋がっています」

 

しかし、彼女がまず案内してくれたヤギュウォ大学で最初に彼女が説明してくれたのはナチス占領当日の話だった。

「学長室に教授たちが集められました。そしてそのまま強制収容所に送られ、彼らは帰ってきませんでした」

 

 

ヤギュウォ大学は彼女の出身大学だし、彼女が住むクラクフの郊外にアウシュヴィッツはある。

生まれ、育った郷土の体験だ。

そのそれぞれの場所で、彼女は事実を淡々と述べるだけだった。

すべての説明に彼女は自分の論評を加えなかった。

 

それが却って深い怒りと、事態の重さを感じさせた。

 

その言葉のひとつひとつが。明確なナチスの軍隊とかドイツとか、そういう目に見えるものへの怒りとか、そんなレベルではないように思えた。

Robの、コトバ少ななベルギーの事実についての説明のときと同じ感じがした。

 

 

 

撮影場所:熊本市中央区新市街 ビアレストランOden

     Jagiellonska 15, Krakow 31-010, Poland ,Jagiellonian University

撮影日 :2019年5月21日

     2019年9月8日

撮影機材:iPhone7

Olympus OM-D EM-5 MarkⅡ & EM-5

     + Olympus M.ZUIKO DIGITAL 12-50mm 1:3.5-6.3 EZ ED MSC / SIGMA Art 19mm F2.8 DN