このときの福島の旅ではいろんなものを見て、考え込んだ。
復興支援策でコンベンションが誘致されていたこと。
信夫文字摺・歌枕に秘められた東夷と大和朝廷の歴史と奥の細道。
繊維の町・川俣。
114号線の元・通行止め地帯を越えたこと。
立ち入り禁止区域に囲まれた道を延々走ったこと。
誰もいない小学校、夏の木々が風に揺れる葉音。
セイタカアワダチソウの野に囲まれた復興工事中の請戸港。
ずらりと並んだ出航できない漁船。
波と風の向こうに見えた福島原発の煙突たち。
廃墟と生活が入り混じった浪江の街。
ランチをいただいた復興屋台村のお店のおばちゃんたちの笑顔、そして熊本地震に遭った私を心配いただいたこと。
柳美里さんの本屋さん。
小高駅前の小千谷の方がたとの交歓メッセージ。
相馬松川浦の夕景。
松川浦港近くの丸三旅館旅館のご店主のお人柄。
「たこ八」でいただいた魚介、特にホッキ貝。
雨の相馬中村神社。
入りたいインターで高速に乗れず適当に走り回ったこと。
大学生時代に1度だけ通った道に、出会ったこと。
会津城で想った幕末明治の熊本のこと。
そんなことを反芻しながら、会津を後にして福島県での最後の夜を過ごす福島市へ向かった。
まだクルマを返すには時間がある。
福島駅西のレンタカー屋さんへは福島西インターチェンジで降りるのが近いが、通り越して福島飯坂インターチェンジへ。
そして飯坂温泉。
日本人は旅行といえば温泉だよ。
立ち寄り湯の駐車場にクルマを停め、ご入湯。
地元の方に混じって大きな湯船に浸かる。
暖かい湯に、どこか強張っていた心が解けていくようだった。
こうして僕の福島のドライブ旅は終わった。
この旅からすでに1年半。
立ち入り禁止区域は大幅に減り、常磐線は復旧し、漁業は再開された。
半年くらい前。
あるところで僕は水俣の海の魚について、一部の人たちから今でも差別が行われている現実に直面した。
水俣近海の魚には行政により極めて厳格な監視と検査が今でも行われている。
資料
https://www.pref.kumamoto.jp/common/UploadFileOutput.ashx?c_id=3&id=4512&sub_id=5&flid=186985
現実を知らず知ろうともせず差別する人、その人たちの蒙を啓こうとせず逆に忖度して差別を助長する人びと。
そんな大人たちを目の前にして僕は戸惑うとともに強く打ちひしがれた。
夜、僕は来てくれた仲間とともに水俣の居酒屋で地魚を食べ、憂さを晴らすように盛り上がった。
その店は胎児性水俣病の方がたも通う、魚が旨い店だ。
みんなの努力で福島は日々刻々と復旧し、安全になってきている。
けれど、魚のことに限らず福島もこれから水俣のような新たな戦いのフェーズに入っていくのだろう。
長い戦いだ。
僕はそんな福島をこれからも応援するし、謂れない地域差別をする人には諄々といろいろ語っていくと思う。
一縷の諦めも残しつつ。日本人として。
撮影地:福島県福島市飯坂町十綱町30 波来湯
撮影機材:iPhone 7 back camera 3.99mm f/1.8