みんな、キュウリを育てた事あるかな。
お店で売っているキュウリってどれもまっすぐでしょ。
自分でキュウリを育ててみるとわかるんだけれど、実はなかなかまっすぐには育たないんだ。キュウリってデリケートな野菜で、気温とか湿度、栄養状態なんかの理由で、すぐに曲がったキュウリができちゃうんだ。




でも、そういったキュウリが市場に出回ることはない。
なぜなら、曲がったキュウリは市場で売れないから。




曲がったキュウリは、見た目が悪いとか、輸送、陳列の時にコストが掛かるとか、調理の時に手間が掛かるとかそういった理由で敬遠されてしまうんだ。味は変わらないのにね。



そう、市場で好まれる「商品」は見た目も良くて使いやすい、まっすぐなキュウリ。




だから、生産者の方たちがいろいろな工夫をして商品となるまっすぐなキュウリを育てているというわけ。曲がったキュウリは売れないんだって。




でもこれ、人間も同じじゃないかって思ったんだよね。




「曲がった」人間は社会で使いにくいから敬遠される。個性を出さず、他人の言うことを疑わずに従う人間の方が商品価値があるとされているんだ。



曲がった人間は、曲がったキュウリと同様に価値が無いものとされて、捨てられてしまう。



まっすぐな人間を作るための、家庭や学校での教育。まっすぐにならないと、将来大変なことになるぞと脅されて、必死でまっすぐなふりをしなくちゃいけないんだ。



でもね、曲がってたってキュウリなんだよ。味は変わらないんだ。



曲がったキュウリや、曲がった人間を認めない社会のほうがよっぽど「曲がって」いるんじゃないかな。
曲がっていても、見た目が悪くても、偏見を持たずに接することができる。その本質をみることができる。



そういうことが本当の「まっすぐ」と言えるんじゃないのかな。


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