道徳(ゴミ) | kpoint_newsのブログ

道徳(ゴミ)

 専門は哲学だそうだが、分別ゴミの制度にブチギレしている。
 週刊新潮三月十日号のコラムで、資源ゴミであるプラスティックトレーを、可燃ゴミとして出して、それを町内のお奉行様にチェックされお叱りを頂戴したらしい。
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 おばさんみたいな人がいると、ゴミ収集車が持って行って呉れんのですわ。
 
 このおばさん、宛名が書かれた封筒やらを始末せずに可燃ゴミにぶち込んで、特定されてしまったわけだが、ともかく町内としてはルール違反者を特定できて喜ばしいことだ。
 
 知らなかったから仕方がないし、知っていたらやるものかということだが、都やら市から紙が廻ってくるだろう。ちゃんと読んでないのか。結構この件に関しては話題になったはずであるが、最近外国から転居してきたのか?
 
 ともかくいやいやり出したのはいいが、あまりの面倒くささに「みんな、こんなの本気で守っているのだろうか。だとしたらクレージーだ。」「ルールを守ることがクレージーではなく、それを守ることが正しいと思っていることがクレージーなのである。」なんですと。
 
 あとは自分を正当化するための御託が百行くらいにわたって延々と綴られている。
 実際、ワタシらは嫌々ながら行政に協力しているのであって、それを戦前の隣組がどうのこうのと言うのはどやさ。あんた、どこかで「私って、分別ダイスキじゃないですか」っていうのを聞いたことあるのか?

 こんな一本切れているようなおばさんは、有料ゴミ袋の出費だけですまそうとするから煩わしいのであって、小金をもっているのであれば、業者に直接頼んで処理してもらえばよろしい。
 
 ただ、人ができることを単にやりたくないというような不埒な理由で、まじめに協力している人々を、なんのも考えのないアンポンタン呼ばわりすることは、言語道断である。