めちゃめちゃ久しぶりになってしまいました
ブログお久しぶりです
棚橋由佳です。
世の中の動きを見ていると、まさに激動の時代に入ったなと思う今日この頃。
私自身、ものすごく考える時間をいただいたなと思うのです。
今迄は、
自分が『何をやりたいか』ばかりを考えてきました。
それは悪いことではないし、やった方がいいと思う。
でもそれって意外に限界が来ることを思い知った時にどうしたらいいかをものすごく考えました。
私の場合、自分がなにをやりたいかを考えているときは
全く目の前の現状や現実に目をむけていないことに気が付きました。
私は本当にここ最近まで
自分が松月の跡を継ぐことから目をそむけてきました。
受け入れられなかったから。
心のどこかで他人事だった。
小さい頃から商売をする大人たちを見てきた。
子供だった時は両親を松月に取られたと思っていたし、心底松月が嫌いだった。
だから絶対にここには帰ってこないと決意し、高校卒業した次の日には栃木を飛び出し上京した。
志半ば、自分には役者の道は向いていないと心のどこかでは気が付いていた。
でも意地でも帰らないと思っていた。
でもある日、私の奥の奥から声がした
『帰って松月をやれ』と。
嘘のように聞こえるかもしれないけど、本当の事。
私は霊感とか全くないけど、あの時だけは無視できないほど大きな声が聞こえた。
もう精神状態ギリギリな私は『意地』だけで東京に残ることは出来ず、それに従った。
そこから早送りのように物事が進んでいき、今に至る。
こっちに帰ってきてもう10年になる。
それまでの間何度も何度も葛藤があった。
私は何のために帰ってきたのか。
私はどうしたらいいのか。
自分は負け犬なんじゃないかと何度も何度も思ったこともある。
そんな中起きたコロナウイルス蔓延。
松月の売上の主軸だった宴会が0になった。
すべては蕎麦に頼ることになった。
4代目の父とそれを支えてきた母は私に言った。
『お前がいてくれてよかった』と。
そこから私の考えや思いが少しずつ変わってきた。
そして父から聞く2代目、3代目の話し。
1代目は父も会ったことはない。
私は今彼らがどんな思いでこの松月を創業し、守り続けてきたのか思いを馳せることに時間を使う事が多い。
私は松月を嫌いだと思っていたけど、本当にそうなのか考える事も増えた。
そして思い出したのは、小学校の授業参観の日。
女将である母は毎回着物を着てきた。
そしてそれを見た友達がいう。
『由佳ちゃんのお母さんはお着物だからすぐにわかるね。かっこいいね』
嬉しかった。着物を着て仕事をする母がカッコいいと言われ私は鼻の穴を大きくしたのを思い出した。
それと、お使いを頼まれた時に祖母や母によく言われた。
『お店の人に松月ですっていえばわかるからね』と。
言われた通りお使い先にそういうと
『あら。松月さんの娘さん?偉いねー』と言われた。
松月の娘だという誇りを私も持っていたことを思い出した。
この店を守り抜こうと決意で来たのはそこからです。
最近までは蕎麦屋としてやって行こうと思っていたけど、今は松月のバトンを渡してきた人々の思いを考えると、やはり思うのは
『割烹松月』をもう一度という思い。
もちろん蕎麦はやめない。
蕎麦がわたしやお店を救ってくれているから。
これは5代目である私の目標であり、決意表明でもある。
創業1885年。
地元の人にこんなことを聞いた事がある
『松月は俺みたいなもんがくるとこじゃなかった。でもこの階段を上ってお酒を飲めたときは自分が出世したんだと実感したんだ』と。
誰かの目標になれるような、憧れになれるようなそんな店にしていきたと、私は思っています。
時間はかかるが、そんなものいくらだって耐えてみせると思う今日この頃です。
松月庵 棚橋 由佳