娘は、小さな頃からデリケートな子どもだった。
そのことが原因で体調を崩すことが多かった。
でも、
ほんわかしていながらも、人と違う視点で物事を捉え、表現の仕方がユニークだった。
私達はそれを愛らしく感じ、癒されていた。
生まれながら
にこにこ笑っているような顔をしていた。
私はそんな娘の顔が大好きだった。
娘は中学生になった。
ある日
何人かの生徒と娘が、先生に注意された。
職員室の前の廊下で正座をさせられた。
他の生徒達は許してもらい、帰ることができたが娘はその場に残された。
どうして残されたのか、娘に聞いた。
自分は笑ってなんかいないのに
先生に笑っていると思われ
『何が可笑しいんだ』
と言われたと答えた。
小学生から中学生になり
いままでとは違うんだという事を、娘は感じているようだった。
娘が部活動を決めるとき、
主人は
「スポーツをすれば体も丈夫になり、内向的な性格も変わっていく。社会に出るには大切な団体行動も学べる。文化系の部活はダメだ」
と言った。
私は少し違うなと思った。
主人の考えに意見して口論にもなった。
ある日、娘は元気よく学校から帰ってきた。
主人も経験のある運動部に入部してきたと言った。
それから毎晩夕食の後、主人と娘が庭に出て一緒に部活の練習をするようになった。
その時、娘からこんな言葉をよく聞いた。
『お父さん、嬉しいかな?』
と。
3年生の先輩たちは、娘を可愛がってくれた。
秋になった。
3年生が引退し、部長が代わった。
部活は1年と2年だけで活動するようになった。
新しい2年の部長は娘に厳しかった。
『ヘラヘラした顔で笑っている』
と言われ、指導を受けた。
一人だけ校舎の周りを何周も走らされた。
走りながら皆を見たら
友達は先輩達と練習をしていたと言っていた。
娘は
他の子のように先輩と上手に付き合う方法がわからなかった。
部活の話をすることが少なくなっていった。
夕食後の練習もしなくなった。
ある日
他校との交流試合があり、現地集合のため娘を送っていった。
相手中学に着いても、娘は車から降りるのを泣いて、叫んで、嫌がった。
そのまま娘を家に連れて帰った。
その日、私と娘は、主人に怒鳴られた。
娘はもう部活へは行けなくなってしまった。
文化系の静かな部へ転部したいと娘が言った。
主人は、もう少し頑張れと言ったが
娘はパニック状態になり、泣いて暴れて過呼吸も起こすようになった。
主人は色々と小言を言ったが、私は転部させるべきだと思った。
転部願いは受理された。
でも、運動部の顧問に
『最後くらい部活に顔を出し、先輩達に謝罪しろ。それが礼儀だ』
と言われたらしい。
主人は「そうだな…。それが礼儀だな」と言ったが、
娘は「行けないから辞めるのに、そんな事が出来るわけないよ」と泣いた。
私は娘がしたくないことはさせたくなかったので、「そんな事しなくていい」と言った。
本当に酷い話だった。
あの娘は まだ中学一年生だった。