そもそも何故赤信号を渡ってはいけないのか。と言うと、例外を除いて、赤信号は危険を知らせるサインだから。
私は今、車通りが少なければ平気で赤信号だろうが横断歩道を渡ります。
しかし、自分に子供が出来て、一緒に外を歩くようになれば「赤信号は渡っちゃダメだよ」と教えます。(勿論その頃には私も信号無視をしない清く正しい大人になっている事でしょう。)
では何故、それを教えるのか。社会の決まりやマナーだから?それは違うと思います。
まず1つは、我が子の身を守るため。もう1つは、万が一、人様に迷惑を掛けるような事がないように。
赤信号は、人の命を守る為に作られたもの。赤信号が出来るまでには、きっと何人もの交通事故による犠牲者が出ていた事でしょう。
その犠牲があった上で必要だと考えられ、作られたものを無視して負った痛みや人に掛けた迷惑は、全てその人自身の責任であり、その経験を元に人に注意したからと言って信憑性が増すものなのでしょうか?
真面目に生きていて犠牲にあったのならともかく、周囲を巻き込む事故の原因を作った張本人なのだから、なおさら当たり前の顔をして「赤信号は渡っちゃいけないよ」なんて言えたもんじゃない気がします。
マニュアルと言えば、マニュアル人間という言葉があるくらいで、余り良いイメージは湧かないものです。
では何故マニュアルが存在するのか。それは、先人達がいくつもの失敗や挫折の経験を経た上で、結果「こうした方がいい、こうすれば失敗せずに済む、こうした方が気持ちよく過ごせる、物事が円滑に進む」といった最善な(理想的な)方法を残してくれているのではないでしょうか。
先人の知恵を借りて失敗を回避出来るのは、若い世代の得な所だと思っています。
敢えて回避できていた筈の失敗を起こしたって、現実的には痛みが残るだけで何の前進もないのです。どうせ失敗するのなら、前進した上でした方がいい。自分にしか出来ない失敗をした方がいい。その方が、後世の人にも、自分にも為になるように思います。
マナーや規約は人を気遣う気持ちがあってこそ生まれ、赤信号もまた、人の命を守る為に生まれたのだと考えられれば、「渡らずにいよう」と自然に思え「渡っちゃダメだよ」と自然に言えるようになれるかもしれませんね。
(背景があってこそ生まれた赤信号を無人島に持って行こうなんて話を出したのは話をややこしくさせるもとでしたね。ごめんなちゃぃ☆)
あと、痛みを知ってて自分の痛みを人に置き換えて考えられる人も居れば、自分の痛さばかりに固執して自分の事にいっぱいいっぱいで人の痛みに目を向ける余裕がない人も居ると思います。要は人それぞれだと言ってしまえばソレまでですが。
人を思いやって、支えになってあげたいという気持ちさえあれば、相手も自然とそれに応えるように支え返してくれるものだと思っています。
また、支えて貰いたいという姿勢では相手も返す限界があり、粗雑な態度をとれば、粗雑な対応が返ってくるでしょう。
目には目を、歯には歯を。良い事をすれば、見返りは求めなくとも返ってきて。悪いことをすればいつかは罰が当たる。そんなもんなんじゃないでしょうか。
それと、モテる人と言うのは何かしらの魅力が多くの人に伝わっているからこそ多くの人に好かれるのだと思います。
全く魅力がない人というのも稀だと思うので、要はその魅力をどれだけ周囲に伝えることが出来るかというだけの事で。積極的に相手を知り、自分という人間を知って貰おうとする姿勢さえあれば、だれだってそこそこモテるのではないでしょうか。多くの人にモテるのが良い事だとも思いませんが。
好きな人に好かれて、必要な人に必要とされる。1番大事な枠はちっちゃくてもいいと思います。