久しぶりになってしまいました。

亡くなったのは、わたしの実父。
88歳でした。

もともとがんが進行していて
あと一年くらいかな、と覚悟はしていました

がんの治療のため、2回入院、手術。

もうだいぶ悪かったので
臓器を全摘する、という話に父が反対。
このままにしてくれ、といい。
症状が悪化して、昨年末にもう一回手術。

入院で認知症が悪化して
母とふたりがむずかしくなり、施設入所。

もともと明るくて、楽しいひとだった
こともあり、問題なく、楽しく
過ごしていたようでした。

3月、施設でコロナのクラスター発生。

そのときはかからず、
差し入れもできずに
電話で様子を聞くだけに。

元気でした…

クラスターが落ちついたところで
なぜか、感染…

でも、あまりひどい症状もなく
入所先で隔離、静養。

10日間の隔離明けの次の日。

午後わたしの携帯に電話が。

酸素濃度がものすごく、下がっているので
救急搬送していいかどうか、の
連絡でした。

ちようど訪問看護のドクターがきていて
すぐみてもらったのですが
ドクターから緊急要請をしてもらい
病院に搬送になりました。

コロナの検査はその病院で陰性。

駆けつけたときには息は苦しそうなものの
意識ははっきりしていて
ひとりずつしか会えなかったけれど
誰がきて話しているのかはわかっていて…

その晩は覚悟してください、といわれて
後ろ髪を引かれながらもどりました。

次の日はかかりつけの病院へ搬送。
救急車でいきました。

自分が乗せられたときと
子どもと一緒のときと
父と、3回目になりました。

もうその日はほとんど意識がなかったです。

次の日の早朝、電話連絡があり、
わたしと母が看取りました。

会いたいひとには
意識のあるうちに会うことができたし
わたしはずいぶん長い時間父といることが
できましたし、
母もゆっくりお別れがいえたようで
父が一日、苦しいなかでも
頑張ってくれたおかげで
覚悟も決まって、きちんと見送ることが
できた、と思います。

ひとがひとり亡くなることって
ほんとうにたいへんですね…

やること、山積みです。

母がやっぱりいろいろ決められないので
代わりにわたしや兄弟がやらなければ
なりません…

葬儀の手配は
夫の出番でした。
よくしっている葬儀やさんに頼めて
ほんとに助かりました。

わたし、頑張って嫁をやったかいが
ありました。
お寺で義兄が葬儀をしてくれて
うちの殿も出ることができました。
ま、勝手知ったるお寺ですし、ね。
よかったです。
うちの殿がたぶん、一番好きなのは
うちの父だったから。

じいじ、こんなとこにはいってるよ、
というと、
ちょっと困った顔をして
じーっとお棺にはいった父をみています。
そのうち、バイバーイといいました…

泣く暇もなかったその間、
そのときやっと泣けました…


あと少し。
埋葬までは頑張らないと。

母、自分が退院して
1週間後のことでした…