emiさんのブログを読んでいて
ちょっと思い出しました。

和光って障がいの子どもの枠が
べつにあるんです。
一学年で4人だったかな。
2クラスだったからひとつのクラスに
二人ずつ。
今は違うかもしれませんが、
殿のとき、20年くらい前はそうでした。

殿が病気になって障がいを負ったのは
5歳のとき。
すぐ、来年に小学校の入学がありました。
地元の小学校の支援級か
普通級か
迷いに迷っているときに
知り合いの小学校の先生から
和光学園は障がいの枠がある。
普通の子(このいいかたは好きじゃない)
と一緒に学習ができる。
と聞いて
無謀にも、受験しました。

まだ障がい児になってから間もなかった
ので、わたしももう少ししたら
元通りにはいかないまでも
もうちょっとよくなる、と信じていましたし
そうなれば和光のように
手厚い支援が受けられるところがいいと
信じていました。

でもね、受験はできましたが
もちろん、落ちました💧

よくよく冷静に考えてみれば
トイレさえ自立していないのに
普通級の子達とやっていけるわけがない。
でも、和光創立者小原國芳の本を読んで
こんな理想の教育を受けさせてみたいって
思ってしまったんですよね。

子どもってある意味残酷です。
いくら先生が理想の教育をしても
全員がそれに賛同するわけじゃない。
異分子を排除しようとするのは
日本のみんな同じという教育の中では
不自然なことじゃないんですよね…
ほんとに、ほんとに残念なことですけれど。
いまの世の中、全体に余裕がなくて
うまく受け入れられない子どもが多いような
そんな気がしています。

障がい児そのものは
テレビやSNSや目にする機会も多くなり
発達障がいや自閉症、ダウン症なども
活躍するひとたちが増えて
理解そのものは前よりずっといいと
思っていますが、理解するのと、それを
受容するのとはまた別の話なんだろうなあ。

小山田圭吾さんの音楽は否定しませんが
それがパラリンピックってところに
みんなの批判が集まったんですよね。
なぜ❓って。
皮肉もいいところです💢