鬼滅の刃のキャラについてだらだら語っています↓↓






ここ暫く、何かに対して頑張ろうという気力がない日々がありました。何をやっても空回りで辛いこともありだんだんしんどくなっていました。

人のために良かれと思ってやったことも鬱陶しがられたりで自分の存在意義にすごく悩まされていました。



そんな時、ポケ~っと何気なく観たアニメ鬼滅の刃~柱稽古編~。主人公炭治郎くんと霞柱・時透無一郎くんの話でした。この時なぜか時透無一郎くんのキャラに惹かれて、映画無限列車は観たことはあるものの今までほとんど原作やそのアニメに興味がなかった鬼滅の刃のストーリーをおってみました。

私はアニメが好きなので(動きや声がつくと人物の生命力や場面の臨場感をより感じるから)、アニメを中心に観ていくうちに14歳の時透無一郎くんの生き様にひきこまれていきました。


当初は、無限城編で彼が鬼との戦いであんなにもむごい死に方をすると予想だにせず。かなりショックでした…。今まで好きなアニメキャラは様々いて、死んでしまったりと比較的残念なことは多かったけど。涙が出たのははじめてだった。時透無一郎くんの最後の姿は……色んな意味で心がえぐられました。

柱である以上最前線で戦いますし常に命をかけて弱い立場の人々を鬼たちから護っているから、命を落とすのは時透くん含めあり得る展開だとは思います。しかしあの徹底的なやられようは💧…命をおとすのは仕方ないにしてももう少し違う見せ方があってもいいのになー…。生意気ですが思いました。戦って命を落とすというのはある意味現実的ではあるけど、あそこまで見せられたらトラウマになりかねないです。(個人的には、甘露寺さんや伊黒さん、しのぶさんのも辛い。たくさんの隊士も)




とはいえ、刀鍛冶編~無限城編にかけて時透くんが本来の自分の心を取り戻して、真の鬼殺隊柱へと変貌していく様は、それだけで物語がつくれるんじゃないかというくらい惹き付けられました。

彼がかかげた信念、

“人のためにすることは巡りめぐって自分のためになる”

ということを誰よりも信じ、

“仲間のために命をかけたことに後悔なんてしてない”

と、大切な仲間のために全身全霊で生き抜いたからこそ出る言葉だと思います。


周りからみたらあまりにも早すぎる死でかわいそうと思われるかもしれない。黄泉の世界で彼は兄からもなぜ逃げなかったのか?なんのために生まれてきたんだと怒られたけど、仲間を見捨てず最後まで戦ったことを悔やんではいませんでした。自分よりより長く生き残れる、無惨ら鬼を倒せる可能性がある仲間のために、そのために自分にできることは何かを考えそれを見事全うしました。結果それが黒死牟や無惨を倒すことへとつながりました。


そしてもうひとつ。

“自分は幸せになるために生まれてきたんだ”


家族を次々に失い、つまらない命だと蔑まれ、絶望にうちひしがれてもその事実から逃げずに這い上がった時透くん。つらいことばかりじゃない、幸せだと思える瞬間もたくさんあったしかけがえのない仲間もできた=幸せは長さではない。自分は深い14年を生きたんだ、と。

つらいことばかりに目がいきがちだけど、大切な人たちと共有した幸せな瞬間を感謝し愛おしく思える。そして、自分を見捨てず支えてくれた人たちのために限りない強さを出せると信じて。そうして残された時間を後悔なく最後まで真っ直ぐ駆け抜けた時透無一郎くん。誰かのために頑張れるということは誰にでもできることではないです。天才剣士とかではなく、人のために刀を握る一人の優しく強い少年です。

一方、更なる強さと無限の時間を手に入れ大事な家族を捨て鬼へとなり、己のために刀を握る黒死牟。鬼となった先祖とその子孫の対峙。生き様は真逆です。



剣士の子孫という生まれ持った才能だけではない、血反吐がでるような努力で己を鍛練し、大きな絶望にも立ち向かう姿勢や覚悟は涙無しでは観れませんでした。


個人的な憶測ですが、たった2ヶ月で柱になったとはいえ、他の柱に比べ自分がまだ未熟でかつ圧倒的な経験値の差があること、本人が一番痛感してたんじゃないかな。だからこそ、夜の柱同士の稽古にも遠方だろうと自ら積極的に参加していたのかなと。自分に残されている時間ともうすぐ始まる最終戦に向けて、いざという時に仲間に迷惑をかけないよう少しでも向上しなければって。どんだけつらくても一切弱音をはかないし大人じみて冷静沈着だから、周りにはそうみえないけど。

アニオリである夜の柱稽古シーンを観て、私はそんな風に感じました。


それともうひとつのアニオリである紙飛行機のシーン。隊士たちと一緒に紙飛行機を飛ばす中での何気なく描かれた時透くんの一瞬の表情。



厳しい稽古のせいもあり隊士たちとは距離があったけど、炭治郎くんがつくってくれたきっかけによりぐっと距離が縮まります。稽古にストイックだった彼は隊士たちの楽しそうに笑っている姿を初めて見るのかもしれない。この時彼は既に覚悟を決めていただろうしみんなと過ごす時を共有できるのはこれが最後かもしれないという寂しさも感じていたのかもしれない。ただそれでも、平穏な時間や仲間がそばにいてくれることがどんなに尊くありがたいことか…彼なりに幸せを心にきざんでいたのではと思います。

時透くんや隊士らの紙飛行機が澄んだ空へ真っ直ぐ飛んでいくところは、ただ平和を望む少年たちの純粋な心を表していて、同時にたくさんの尊い命が犠牲になることを暗示してるように思えました。

アニメを観てから、刀鍛冶の里編の主題歌『絆ノ奇跡』と時透無一郎くんのテーマ曲がすごくいいなーと思いました。特にテーマ曲は、失いたくない大切なものを護るために自分を支えてくれた人たちの希望に応えるために命をかけるという彼の覚悟や限りない秘めたる力が表現されてるなーと感じました。

https://youtu.be/EzQdhdEaNQ4?si=Mr4HApCSknkoB35N

『絆ノ奇跡』は、刀鍛冶編で共に戦った甘露寺さんや玄弥くんにも通ずる歌詞で、彼らに待ち受ける未来を既に暗示していてそこへ立ち向かう彼らの決心をうたってるように思えました。


鬼滅の刃の主人公炭治郎くんを含め、鬼殺隊柱たちが各々のつらい過去を背負いながらも、同じようにかけがえのない大切なものを失って悲しむ人がこれ以上増えぬよう、平和な時代を切り開くために、燃えたぎる魂を刀と自らの命にかけていく生き様は、魂がふるえます。つかんだその大きな幸せは、たくさんの人にそして生まれかわった自分にもめぐっているということ。人によって解釈は様々かと思いますが、私にはそんなふうに感じとれました。

私自身、今すぐ大きなことができるわけではないし生きていくことにつらさを感じていた心にこの作品の無慈悲な現実は突き刺さるけど、目をそらさず向き合うこと・身近にある些細な幸せを愛おしく思えることの大切さを、改めて教えられたのでその気持ちをわすれないようにと思いました。






彼の生き様についてさんざん語ったものの、最後の描写はやはりキツイ。後ろは向かず全身全霊で黒死牟へ立ち向かうことを止めなかったからこそのあの姿なのかもしれませんが。

アニメ好きとしては刀鍛冶の里編のような時透無一郎くんの活躍を観たいのだけど、捨て身となることを選び身を削っていく様を、観るのは耐えられそうにないな。あれをアニメでやるんだっていう怖さとどこまで忠実に描かれるのか…想像しただけで心張り裂けそうです。

無限列車の映画を観たあの当初は、鬼滅の刃のストーリーとキャラを全く知らないで観ましたが、それでも煉獄さんの最期はまあまあショッキングでした。比べるのは違うけど、時透くんのは煉獄さん以上に数段むごたらしいし、最後の最後までそこまでやりますか?ってほど。ちょっとやりすぎるような…。鬼滅の刃のキャラの魅力や綿密に立てられたであろうストーリーはすごくいいなーと思いますし、もっとグロい作品も観たことあるけど、自分が鬼滅ファンでなかったとしてもあれはかなりショック受けると思います。


とはいえ、柱になる前から鬼を返り討ちにしたりと戦闘の才能と黒死牟戦での死を覚悟しての一連の判断や行動力、他人のために戦う強さを兼ね備えていた時透くんだからこそ、透き通る世界にまで達しそしてできたのかもしれない。

彼を含め、無限城の戦いは誰か一人でも欠けていたら、倒すことも平和をつかむこともできなかったのだと思います。