OSC春の東京と神戸が終わってとりあえずひと段落したので、ちょっと最近おもったことをひとつ。
OSC神戸の展示で、「OS自作をやっていて良かったなあと思えることはなんですか?」という質問をされたのだけど、まあ良かったことは山のようにあるのだけどなかなか説明しづらいなあと思ったのだけど、Prexのコラムにこのような文章があるのを見つけた。
Prexというのは上記ページのかたが自作している組み込みリアルタイムOSなのだけど、2007/04/03の「OS開発の愉しみ」を読んでみてください。OSを作る楽しさってのは、まさにここに書かれているようなことだと思います。
上のページでとくにぼくが「うん、そうそう」と思ったのは、「自分が神となって世界を創造する醍醐味」ってことかなあ。
たしかにOS自作は、ひとつの世界を創造しているような楽しさがあります。まあ世界と言うと大げさかもしれないけど、ひとつの「システム」のすべてを創造していることは、間違いなく確かです。で、それはちょっとミスがあったらうまく動かないし、どんなに不可解な現象が起きても、必ず原因があります。それだけに、思ったとおりに動いたときの感動は格別です。
ぼくも昔はよくBASICでゲームプログラミングなんてやってたのだけど、はじめはゲームやりたさでいっしょうけんめい本に載ってるプログラムを打ち込んでいたのだけど(そういう時代だったのです)、だんだん気がついたことがある。それは「他人が作ったきらびやかで豪勢なゲームをやるよりも、自分で作ったしょぼいチープなゲームのほうが、何百倍も面白い」ということです。
まあこれは人によるとは思いますが、少なくともぼくは、ゲーム会社が作った超面白いと言われているゲームよりも、自分で自作した超しょぼいゲームのほうが何百倍も面白い。ていうか、前者はいずれ飽きるが、後者は飽きることが無い。
というのは、自分で好きに作って、気に入らないところがあれば自分の好きなように改造するという楽しさがあるから。そりゃー面白くないところがあったら面白くなるように自分で直せるわけだから、自分にとっては最高に面白くなるのはあたりまえですな。
で、OS自作というのは、そーいう楽しさがあると思う。OS自作は、ゲームだ。だからKOZOSは、「使う楽しさ」でなく「作る楽しさ」を味わいたい人に、ぜひいじってみてほしい。LEDが光っただけで感動できる人、言い方をかえると「自分の力でLEDを光らせることに感動できる人」に、いじってみてほしい。実際にはLEDが光っただけ、それだけのことなのだけど、それで「やったー!」って思えて誰かにその感動を伝えたくてしょうがなくなるような人に、いじってほしいと思うのだ。「見てみて!LEDが光ったよ!」とか本人は言ってるのだけど、聞いてるほうはわけわからずポカーンとしてるようなナイスな感じですね。なぜなら、私がそうだから。
まあこれは「OS自作の楽しさ」なのだけど、自作してよかったなーといちばん思うのは、やっぱしOSCとかでいろんな人と話せたりつながりができたりしたことかな。ベテランのひとたちにはいろいろお世話になり、若い人たちにはたくさんの刺激を受けて、同世代のひとにはもっとたくさんの刺激を受けているのだけど、これは会社にいるだけでは得られない、外に出ないと得られない貴重な経験だなーと思う。そしてやっぱり、情報を得るだけでなく発信する、何かを作っている立場で参加したいという思いがある。
ぼく自身、いろんなひとにあこがれてここまでやってきた。たとえばクヌース先生とかマクージックとかビル・ジョイとかリチャード・ストールマンとかリーナス・トーバルズとかカーニハンとかリッチーとかケン・トンプソンとかラリー・ウォールとか村井先生とか砂原先生とか坂村先生とか高田先生とかg新部さんとかまつもとゆきひろさんとか会社のとある先輩とか、ああこのひとってすげえなあいつかこんなふうになれればなあってひとはいっぱいいる。
だけど最近思うのは、そろそろもう誰かにあこがれているだけでなくて、そういう誰かの目標になれるようなことができるといいなあ、と思う。そろそろ得るだけでなく、与えることも考えたい。とかいうと偉そうに聞こえてしまうが、まあそんなにたいしたことができるわけではないかもしれないけど、心がけとして、そう思っていきたいなあって気は、する。感動をもらうだけでなく、その恩返しとして、だれかに何かを与えることができないかと思うのだ。感動はもらった人に返すのでなく、他の人に伝えるのが一番の恩返しになると思うからだ。
だから細々ながらも、自分だけの、自分だけがやっている、自分独自の何かを作っていきたいなあって思うのだ。