フィーリングで読むアセンブラ入門の執筆がひと段落したのだけど,そもそもなんで本を書くのか,ということをあらためて考えてみよう.まあいつもどおり思うまま,つらつらと書いてみる.そして長文.笑

ぼくの場合は改訂版も含めると技術書を出すのも7冊目で,うち新刊で単著のものが5冊目になる(他は共著が1冊と改訂新版が1冊).まあそこそこの数にはなってきたかと思うのだが,ぼくにとっての本を書くことはすでにライフワーク化している部分もあって,書けるものならば書き続けたいし,書く先が無くなっても探してなんらかの形で書き続けたい.書きたいネタも現時点で10冊ぶんくらいはたまっていたりもする.時間があれば,ホント,もっと書きたい.

しかし実際のところ,技術書を書くことには金銭的なメリットがそれほど多いわけではない.たまにまあ世間話で「印税があっていいですね」的なことを言われることもあって,まあそうですねーくらいで別にそれがイヤとか思うこともないのだが,印税って別に何もしないで勝手に入ってくるものではなく,そもそも労働の対価がかなりの期間をおいての後払いで分割で少しずつ支払われているということであって,それほど効率の良い労働のしかただとは思わない.しかも倍の時間をかけて書けば倍の収入があるというわけでもないので,手をかければかけるほどむしろ時給は下がるという側面もあったりする.時間をかけて丁寧に書いたり高度なことを書いたりたくさんの知識を詰め込んだりすることが,経済活動という点でのみ考えると,逆に効率悪かったりするわけだ.

そもそもそんなに儲かるようなことならば,もっとみんなやっていてもおかしくは無いわけで,まあ逆にいうと,だからこそ誰もあまりやっていないのでやりやすいという利点もあるのだが,なので技術書の執筆にはお金以外の別のなんらかのモチベーションがあるということでそれは人によっても違ってくるかと思うわけで,まあぼくの場合もいくつかの理由とかがあるわけです.

ひとつは,単純に勉強になるということだ.勉強のために技術書を読むというのはまあ当然のことなのだが,本を読んでする勉強というのは,ある意味誰でも知ることができる知識ということでもある.もちろんそれを別に意味が無いとかバカにするとかいうことではなく,それはそれで大切なことなのだけど,本に書いてあるという時点で,他人と差別化はしにくい知識でもあるといえる.これはネットとかで検索すれば得られる知識も同様で,ネットでなんでも知ることができるとかネットが万能ということは,少なくともぼく自身はそのようなことは無いと思っている.ほんとうに知りたいことというのは,本にも載っていないしネットで検索しても出てこないものだ.

なので他人と差別化するための,つまりあまり知られていないようなことを知りたいとすると,自分で手を動かしたり実際にいろいろやってみるしかない.そしてそんなようなことをいろいろ家で細々とやっていると,そのうち本を1冊書けるような知識は自然とついてくる.なぜならそれはいままで本に載っていない,自分で調べて考えることで得られた知識だからだ.

こういう知識はオンリーワンの技術者になるための効果的な武器になると思うので,ぼく自身はそういう知識を身につけるためにとにかく手を動かしたい.今までぼくがやってきたFPGA関連とか組込みOS関連とか今回のアセンブラとかは,まさにそんな感じだ.まあそれらのことが仕事に役立っているかどうかはわからないが,家で勝手にやっていることだし,勉強になっていることは間違い無いのでそれはそれでよし.笑

で,そんなふうにいろいろ手を動かして,自分用のメモ書きとかをまとめたりしているうちに「これって本にできるんじゃねーの?」みたいな感じになってくる.今まで書籍になっていなくてなかなか調べづらい分野だったりもするので,自分が本にすることで他の困っているひとたちのお役に立てたり,産業発展の助けになることができれば,とも思ったりする.ていうか本が無くて自分が面倒な思いをしたりしていることに,「なんで本がねーんだよ!」とかイライラしてきてじゃあ書くか,となったりする.笑

そんなわけでその後は執筆自体が勉強になるというか,勉強しながら執筆もしてしまうというか,そんな感じで家での勉強作業が徐々に執筆のほうにシフトしていく感じが多い気がする.そういう勉強というモチベーションで進めると,長く続けることもできるかと思う.なので実は書き始める段階ではズブの素人だったりもしたりするのだが,書いていくうちに徐々に知識がついていくという場合も多く,執筆自体がたいへんな勉強になっているのは間違い無く,なので執筆活動は,ぼくにとってはアウトプットでなくインプットであったりもする.

趣味を良い形で世間のために役立てたい,というのもある.

研究者や技術者の仕事に対するモチベーションって,いわゆるマンガで出てくるマッドサイエンティストのような「バカな世間なぞ無視して自分のやりたいことを好きにやっちゃうぜ.うっしっし」みたいのって実際はあまり多くはなくて,ほとんどは「自分の好きな研究や開発をやりたいから,勉強してそういったことをできるようにしたい.そしてその『自分のやりたい研究や開発』が世間のお役に立てるのならばそれはとっても幸せだしみんながハッピーになれるので,社会のためになれればいいなあ」ってのが多いかと思う.

ぼくもまあそんな感じで,本というか文章を書くことはけっこう好きなことであって(子供のころは小説家になりたかった),趣味で技術書を書いているような部分も多い.あまりお金がかかるということもなくPCが1台あればできるので,書籍に限らずブログやホームページや日記でもなんでも文章を書くというのは,生産的ななかなか良い趣味だとも思う(別に他の趣味が悪いというわけではないが).そして何かを褒めたり何かを伝えようとしたりする文章が個人的にはとても好きなので,そういう文章を書きたい.

そしてそれが世間のお役に立てるのならば,それはそれでとても良い趣味といえるんじゃないかなあと思うわけです.まあというかそうなるように,自分のモチベーションとか環境をなんとかコントロールしながら書くように心がけていたりもする.執筆がそういうふうになれば,誰も損したり不幸になったりしない,みんながハッピーになれてもしかすれば応援もしてもらえたりするとても良い趣味,と言えるからです.

あと,およばずながらも国内のコンピュータ技術の発展のために役立てれば,というのもある.

最近はコンピュータやインターネットもインフラとして確立して,それらを利用した応用技術が脚光を浴びることが多い.しかしやっぱりつぶしが効いて,揺るぎ無く役に立つのは基礎技術だ.

基礎技術があって応用するのと,応用技術しか知らなくて使うのとでは全然違う(と思う).ほんとうに斬新な発想とかアイディアとかは,基盤となる基礎知識があってこそ,出てくるものだと思う.ちなみにこれは別に他人がどうこうとかみんなそうしなきゃダメだよとかいうことではなく,自分に対する戒めです.

基礎技術が無いと,思いついたことがほんとうに新しいことなのか判断できないし,アイディアを膨らませたり,問題点などがあってもそれを回避したりすることができないからだ.実際ぼく自身も,あまり基礎を知らないような分野では,誰でも思いつくようなありきたりのアイディアしか出てこなかったりというのを実感している.

だからぼくはとにかく基礎技術をつけることに興味とかモチベーションとかがあって,そんなわけで大学の専攻的にも会社の仕事的にも本来まったく専門ではないコンピュータ・アーキテクチャの話とか,組込みシステムの話とか,OSの内部構造の話とかが好きだったりする.ぼくはソフトウェア技術者なので,そのあたりが基礎技術になるのかなあ,と思う.

そして基礎技術がしっかりと普及するためには,国産の良質の書籍が多くあることがとても重要だと思う.まあぼくの書いた本が良質かどうかはぼくではなく読者のかたがたが判断することではあるが,良質とか有意と思ってもらえるような本を書いていきたい.

大学の講義とかも重要だしそういったものを否定するものではないのだが,ただそれだけだと情報科の学生限定の話になってしまう.書籍ならば本屋に行けば誰でも買って勉強することができる.ぼく自身も情報科とかの出身ではなく本で勉強したクチなので,なおさらそう思うわけだ.

あとは自分が今までいろんな技術書にとてもお世話になっているので,自分もなんらかの形で知識をアウトプットすることで誰かのお役に立てるのなら,という思いもある.恩返しというと大げさかもしれないが.

お世話になった人やモノに対して,感謝としてその人やモノにお返しをするのはいいことだと思う.しかしそれとは別に,今度は自分が誰かのお役に立つことでその感謝を他人にリレーしていくことができれば,それは間接的な恩返しとして,とてもいいことだと思う.若いうちに先輩にさんざんおごってもらったならば,何かのときにその先輩にお返しをするのもいいことだけど,それよりも今度は自分が後輩におごってあげるようにしたいという考えだ.そういうのはおごった先輩からしても,とても嬉しいものだからだ.

ぼくも若かりしころ,当時の先端を走っている技術者のかたたちに憧れて勉強した.まあ月並な言いかただが夢とか希望とかいったものをもらったわけだ.まあそれは今でもあまり変わっていなかったりもするのだが,なのでそういったかた達にとても感謝しているところがある.

しかし今はそれに加えて,できることならばそろそろ自分も他人に憧れるだけではなく,そういう憧れられる立場になっていかなければいけないというか,なれるならばそうなりたい,という思いがある.まあ実際になれているかどうかは別としてという注釈つきだが.笑

これは「自分が尊敬されたい」ということではなく,自分がいろいろなかた達に与えていただいた夢とか憧れとか感謝という気持ちを,感謝としてそのかた達に返すのではなく次に伝えていくことが,最大の恩返しになると思うからだ.憧れの対象とか憧れられる存在というものが若いひとにはとても重要だと思う.(自分がそうだったので,そう思う)

だからぼくは現役の技術者として,技術者になってよかったといわんばかりに,楽しそうに仕事をしたりモノづくりをしたり,面白い活動をしたりしたいという思いがある.そしてそういう楽しそうなのを若い人たちに見ていただいて,若いひとたちが技術職というものに憧れて,がんばって勉強したりするためのきっかけになることができれば最高かなあ.別にぼく自身に憧れてほしいということではなく,技術職というものに憧れてほしい.

そんな理由もあってぼくはオープンソースカンファレンスに出展するとか勉強会で喋るとか,そんな活動もしたりしている.勉強会とかで現役の技術者が自分の好きなモノを紹介したり,オープンソースカンファレンスとかでいろいろ楽しそうにやっていたり,面白そうなモノづくり活動をしたりしているのは生産的でとても素晴らしいことだとも思うし,技術者がそういうふうに活気あって楽しそうにいろいろやっているのを,現役の技術者のかたや若いひとたちや学生のかたがたにもぜひ見ていただければとも思う.まあもちろんぼくが勝手に思っているというだけで,ぜひ見ろといったり強制したりするようなものではないのだが.

書籍執筆にもそういう考えの理由があったりもする.本を書くことは,いろんな人との出会いや勉強や気づきがあって楽しいものだ.そんなようないろんな活動をしていると,技術職っていうのは活気があってとても面白い職種だと思えるんじゃあないかなあと思う.だから本を書いたり勉強会で喋ったりすることは,同じ技術職のかたや若い技術者のかたや技術職を目指している学生のかたに個人的にはおすすめしたいなあとも思う.

技術者は元気に,楽しそうにモノを作ってほしいと思うし自分はそうしたい.
そしてそうして作られたものを,愛着を持って長く大切に使いたいと思う.