先日、

アスペルガーの主人の、ことを
書きましたが

前回の記事

やはり

検索  とても増えました。



多くの人が悩んでいること


そして

自分が  アスペルガーではないか?

人とコミュニケーションがとれず苦しんでいる人も多いと思います。



アスペルガーなど

発達障害と言われる

『病名』が付いた人

自分で診断して

アスペルガーではないだろうか?
この生きにくい世の中

と思っている人は多いんだと思います。



本人がアスペルガーかもしれないと思って

検索するのか?


この人(家族)アスペルガーでは
ないだろうか?

と家族が検索するか?

だと思いますが

わたしの場合は主人です。


家族としての目線です。


そして
主人の苦しみは隣にいたわたしがよく知っています。


なので


少しは両方からの目線で書けるのかな?と思ったり。


でも

真の苦しみは本人しかわかりませんね。





主人の生い立ちですか


よく

『癇癪もち』と言われていたそうです。




わたしが聞いた話で


印象的な話が


戦争の映画をみた時に


カーテンの隙間から射たれるかもしれない。とビクビクした幼少期だったこと


靴の紐がなかなか結べず
厳しかったお父さんに頭をどつかれていたこと。

クラスのみんなが
先生がたとえ間違っていたとしても言いなりになることにおかしい!と
学校を抜け出したこと


親戚の集まりなどで変な大人のやり取りを見て大人はみんな狂っている。という思っていたから親戚の同士の集まりが大嫌いだったこと


流行りのものが嫌いで
人とは合わなかったことなど



数えあげればきりがないのですが


とにかく

よに言う普通とは違っていました。



なので


世に言う普通の親は

普通に育てるので

とても苦しんだそうです。

今てなってはそのお陰で

普通の人です。




例えば

これが

親がパニックになり

普通に育てなければ普通に育っていたのか?


それは
考えてもわからないことです。





では家族は

どうすればいいのか?



『うろたえるな』です。



そして


対 人間として

接してください。真剣に。


というのも

今だから言えます。



わたしも

一緒に暮らすようになり


とにかくすぐにキレる主人に

逆らうこともできませんでたが

こういう風に書くと主人だけが悪者に、なってしまいそうですが

わたしも
キレられるほどの未熟な人間でした。


前回の記事にも

主人のような存在を求めていたと

書きましたが


アスペルガーの人と言うのは

とにかく物事を真っ直ぐに見る能力があります。


世に言う普通の人は

物事を歪んで見る癖が、ありませんか?

わたしは
ひねくれものですから

主人のような人に縁あって出会ったんだと
心から思えますが


まだ
理解できないときと言うのは


苦しみしかありませんでした。




今だから言えることは

自分の抱えている闇に

光を照らす太陽のような存在だなぁって

思ったりしますが




人間ですからね

エゴとエゴがぶつかったときは

えらい喧嘩に発展したりします。


だけど、わたしが過ごした家庭環境より

はるかに人間らしい

本気のやり取りをしています




わたしの成長は主人と一緒になってから急速になっています。




今日はここまで