戦争という名の記憶 | okozブログ

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ごめんあそばせ

じいじが生きていれば100歳を超えている。

第二次世界大戦を生き延びた人だ。

 

子供の頃、終戦日に戦歌を歌ってくれた。

腕には弾丸が入ったまま、心臓付近にも入っていたが取り除かれ、心臓が悪くペースメーカーをはめていた。弾丸が入った腕1か所は皮膚が固く、触らせてくれた時は何かゴツっとした感じであった。

 

おじいは、陸軍で招集。熊本第○師団の歩兵部隊(銃あり)。希望したのは空軍だったそうだが、視力が足りなかったため生き残れた。おじいは子供の時代、天才とうたわれ、教師の代わりに教鞭に立っていた。将来は先生になりたかったのかもしれない。

 

太平洋戦争で、激しかった南方へ。

そこには発狂する者、毛布を食事とする者もいた。

 

1度帰国し、次の戦地はシベリア。

ここでも死ぬ思いをした。

死を覚悟し、空を見上げると、そこには白い白馬に乗った騎士(イメージはナポレオンのような)が浮かび、「迎えに来た」と思ったそう。

 

そのまま拘留され、日本に戻った際、悲劇が待っていた。

おじいは出兵前かに結婚しており、赤ん坊(女の子)がいた。帰ると、赤ん坊の墓があり、嫁は消えていた。

おじいは「戻ってくるはずはない」と思われていたがために、嫁は他に嫁いでいたのだ。

 

墓の前で無情に打ちひしがれたであろうことは想像できる。

 

後世、第二の嫁と子供に男児・女児が生まれることになるのだが、その女児に対しての溺愛ぶりは半端なかった。(孫に対しても)

 

またもう一つの悲劇は。

おじいの弟は、戦艦に乗っていた。沖縄か南方に向かう途中、アメリカ軍に爆撃され沈没。若くしてこの世を去ったため仏壇にはずっと写真が飾ってあった。

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当時の人々は、死と隣り合わせであった。

みずきしげるの著を読んだ中の一つに、戦時中の出来事でみずきしげるが「自分の運命を捻じ曲げてはならない」との教えもある。

 

おじいの戦友たちは鹿児島に居たようだ。後世、おじいが死んだと知らされぬまま、過ごしていたに違いない。

おじいが亡くなって、約30年。戦争という非常に重たい1つ1つの記憶は深い闇である。