3.11東日本大震災から10年… | 蒼の憧憬を求めて~旅・麺類・駅伝・中日ドラゴンズ~ 

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 東日本大震災から10年という節目で、今日はどこも震災特集だった。改めて凄い災害だった。

自分のその日は日常とは違い、広い体育館にいたので揺れを最初は感じなかったが

上を見ると体育館の蛍光灯が大きく揺れて,その後揺れも感じだし,かなり長かたったので船に乗っているようだった。

札幌は震度4位だったが実家は静岡県の東伊豆で地震の多い所で育ったため、

地震の長さから、これはとてつもない大きな地震がどこかで起こったと直感した。

 その直感は悪い方に当たり、震度はまさかの7!そしてその後の津波の映像…

その日は深夜の3時過ぎてもニュースの映像をすっと見ていた。その後の映像はすさまじい限りだった…

 

 2015年の春,本当はもっと早く被災地行きたかったが4年後に観光も兼ねて三陸海岸に行ってみた。

三陸海岸に初めて行ったのは大学4年生の時。当時は綺麗な海やリアス式海岸美などの旅を楽しみにしていた。

行ってみるとその時から海岸沿いは高い堤防が多く、列車やバスから余り海岸美を望めなかった。

特に宮古市田老地区は高さ10Mのスーパー堤防なるモノを作っており,

「 こんな高さを超える津波なんて来るわけないだろ 」と思っていた。

それなのにその高さを超える津波なんて想像が出来なかった…

 

 現地に行くと三陸鉄道は朝ドラのあまちゃんブームで満員御礼だった。

宮古市の中心部に行くとすっかり街は復興され安心したが、田老地区に降りた時は

新しい堤防と道路は整備されたが家がまったくなくてびっくりした!

タクシーを呼んでテレビでも見た観光ホテルに行くと4年経ってもそのままの姿だった。

その姿にも衝撃だったが、そんな目に映るものよりも運転手に家が何もない事を聞くと

「 丘に上に新しい街を作るべきと主張する人元の位置に作るべきだと主張する人で話がまとまらない… 」という

悲痛な言葉で現実をたたきつけられた時だった… 何も知らなかった…

 

 あれから6年経ち、10年の歳月が経った。あっという間な感じがするが

まだまだ避難所生活している人や心に傷を負っている人は多くいると思うとまだまだ復興は終わらない…。