刑事裁判後の身勝手な謝罪申し込み


刑事裁判後ほっとした矢先の

新たな絶望と落胆でした。

当時は伝えきれなかった事ですが
 
この度記事になりました。

  私から見たあの時の松永の状況


加害者が収監される時の話です

加害者の社会に出した言葉とは裏腹に、松永家は加害者の対応に翻弄されていたのです。

あの時、どんなに加害者に考慮してもなんど打診しても認められなかった、誠意ある言葉も謝罪もなかった

本心からただ、本音で人と人として話したかっただけなのにと松永は言う

被害者と加害者

本来なら、刑を終えてから心情等伝達制度ではなせるが

高齢ともなるとそうはいかない可能性がある

記事の謝罪の場面で松永は非常に冷静で

「本心を聞きたい、本音で人として話してみたい」

このような率直な言葉が耳に残っている

飯塚氏はなぜあんなにもかたくなに、松永への謝罪をしなかったのか?

出来なかったのか?

被害者側がした究極の配慮さえも拒んだ背景には、被害者としての葛藤と人としての優しさが混ざっていたように感じた。

「彼に無理はさせたくないから自宅近くで負担かけないようにしましょう」と提案したのは松永でした

飯塚氏はこれをも拒んだ

なぜだったのかを聞きたいと今でも松永は思い悩んでます。

本来、加害者が被害者の自宅まで来て謝罪するというのは交通事故ではよく聞く話です。

でも、日程も場所もすべて飯塚氏が決め、一方的に打診がきました。

その一方的な、謝罪の打診の日取りは遠く離れた、沖縄のお義父さんが間に合わないかもなど気にしたりしていました。

なぜ?

「加害者が決めてるの?」

ふと疑問に思いわたしは松永にぶつけると

「そうだよね、変ですよね」

悲しい事ですが、最後の最後まで身勝手な加害者と言いたくないのに

言いたくもなりますよね。

実の娘を亡くした沖縄のお義父さんの事は、加害者サイドは気にも止めて貰えませんでした。

そんななか、社会に出た収監前に言葉に、さらに松永は絶句

「社会に言うこと?なんで遺族に言わないんだろうか?」

あの時、松永はなんの反応も出来なかったのにはそんな背景があったからです。

私から見ると加害者と言うのは、どこかで申し訳ないと反省しているものだ、と言う常識を覆された行動は

人の心にナイフでえぐるようで狂気じみていました。

謝罪とは

更生とは

命とは

語りかける松永の言葉は、たくさんの矛盾を経験してしまった悲しみの中に隠れている

社会への問いかけなのかもしれないです