- 前ページ
- 次ページ
【話したく無いことを話してみた】
小学生の頃、消えてなくなりたかった。
病気だということがわからなくて、
苦しんでいたあの頃。
どうしてみんなのように走れないのかわからなくて、1人になったときにこっそり布団で泣いていたあの頃。
あの頃の自分が少しでも癒されるように、そして誰ももう私と同じ病気で苦しむ人がいなくなるように。
そんな想いをこめて自分のYouTubeで語ったので、良かったら見てください‥!
車いすだと試着が難しく、試着室に入れなかったり、入れたとしても、車いすからなかなか立てない私はスカートやズボンの試着は一苦労💦
なので実際に店舗に行っても試着しない場合も多いです。
先日も試着しないで買って入らない服がありました😭
でも今回は頑張って試着も全部して買ったので疲れました😓
が、夏に向けてお気に入りの服が買えたので満足です✨✨
着てお出かけするのが楽しみ😊
早速行ったのは動物園!
予想外のふれあい度で服が汚れてしまいましたが😭
楽しかったです!
こう書くと全ての人がそうだよ、となるかもしれないが、
トイレやお風呂など出産後、一人でできなくなってしまったので、
私のカテゴリは普通の”障害者”から”重度障害者”へとあゆみを進めてしまった。
今までは外で車椅子に乗っているだけで、家の中では伝い歩きをして歩いていた。
けど、妊娠をきっかにし、転ぶと危ないから、と家の中でも手動の車椅子を使うようになった。
そして妊娠を機に引越しをしたことも重なり、トイレもお風呂も障害のある私には使いにくい形になってしまい、
一人でできなくなってしまった。
トイレが一人でいけなくなってしまったのは本当に大きな問題で、誰かがいないと怖いという状況になってしまった。
そのため私は産後5ヶ月から(夫の育児休暇が終わる時)重度訪問介護という制度を使い、
1日10時間以上介助さんがいる生活を送るようになった。
トイレもお風呂も掃除も洗濯もお料理も全て介助さんがしてくれるようになった。
楽でいいなぁと思われるかもしれないが、自分でやっていたことができなくなるのはとても苦痛で、
介助さんがやっているのを眺めるだけの生活も退屈なもの。
大好きだった料理も車椅子になり一人ではできなくなってしまったので、
せめて、介助さんに指示を出したり、味付けや炒めるなど簡単な調理は自分でしたりするようにしている。
前みたいに全部自分でできるようになったらいいのに・・・と今でも思う。
ヘルパーがいるから働けない
今まではフルタイムで忙しく働き、夜中12時ごろまで時には働き、
社会活動もし、土日も歌や講演で全国を飛び回る生活。
その生活に慣れてしまったからか、今の”時間がある”生活はありがたいことだろうけど、
とっても物足りなく思う。
「ヘルパーがいると就労が認められない」という国での決まりがあるため、その制約を突破すべく、
署名を4000近く集めて市長に提出したり自分なりの行動をしてきた。
だが、まだ市で認められていないため、今はヘルパーがいる生活の私は就労ができていない。
2歳になる息子はそんな中、順調に保育園が決まり、泣きながらも毎日保育園に通っている。
毎日息子と一緒の生活を送っていた私。新しく居場所ができた息子。
そんな息子をたくましいなと思うし、私だけポツンと取り残されてしまったようにも思う。
会社の肩書きがなく、ただの私に何ができるのか。
今のところは何もできていない・・・そんな自分が歯痒く思う。
月に数回の講演や歌の活動、日々のSNSでの発信もしているがなんだか物足りないと思う気持ち。
まだまだ忙しく働きたいと思う気持ちがある。
一方で、病気の進行もあって(歳のせいもあって!?)か疲れやすくなったのも事実だ。
前は毎日忙しく働いて、休日も歌や講演に飛び回ってもそこまで疲れなかったけれど、
今では少し動いただけでも疲れてしまう。
息子と一緒に遊んでも息子の方が体力があるなぁと思ってしまう。
そんな今の状況は、ちょっと大袈裟だけれど、
「これから自分はどうやって生きていくか」
考えるとてもいい機会になっている。
就労できない問題と、体力の問題と、誰かと共にずっと生きていく生活と・・・
私がこれらを乗り越えていくことができるのかはまだまだ分からない。
分からないながらも少しずつ前には進んでいきたいなと思っている。








