生まれて育った環境に影響される事も多いでしょうが、神の捉え方を間違えると身をもって修正させられます。
神を便利屋(願い事を聞いてもらう)とか、慈悲深いもの(何をしても許してもらえる、助けてくれる)と思っているのならば、それは人間勝手な解釈でしかありません。
神は人間の幸せや不幸に関与しません。
人間がどうなろうと関係ないのかもしれません。
そんな神と人間を繋ぐのが魂なのです。
ゆえに魂を人間一人一人の神と呼んでいるのです。
魂は人間を正しき方向(宿命)に導こうとしています。
また魂の存在を気づかせようともしています。
魂と人間が一心同体でなければならないのです。
そのためにも人間には長生きして欲しい、健康であって欲しいと思います。
実際にそうなるように力を貸す事もあります。
しかし魂は人間に服従ではなく、神に絶対服従なのです。
それゆえに、神のルールに従えない人間に「罰」を与える事も逆らえないのです。
そんな魂の想いも知らず、人間は自ら命を縮めるような事を繰り返しています。
神頼み、支払うものは命なり。
自分の命か、それとも最愛の者の命か、最悪は子孫代々…。
知らない事は怖い事です。

神は恐怖である。
人が恐いと思う事に遭遇するのは、その出来事をもって神の恐さを知らしめるためである。
「死ぬかもしれない」という恐怖は神からの贈り物である。
その時気付けるものであれば、実際に命までは取られない。
神は恐怖である。
ゆえに願ったり、祈ったり、縋ったり、そういう事はするものではない。
人間はただ信じるだけ、その存在を。
そして許しを乞うだけ。