神社仏閣、仏像、はたまた庭にある石、何であれ、見て何かを感じた、または見えない何かが見えたという話を聞きます。

それが何を意味しているのか、そこが判らなければならないのです。

例えば、とある神社で「追い詰められている」と感じたという場合、それはそこに祀られている神仏が追い詰められているのではなく、自分自身がそういう状況にあると教えてもらっているのです。

ある人は、庭石が「大きな蛇が睨んでいる様に見えるんですよ」と言われました。

それも他人への怨み・辛みを感じながら生きてきた自分自身を写しているに過ぎないのです。

よく世の中は自分を映す鏡だと言われますが、その一例なのです。

そしてそういう風に映し出しているのが、魂なのです。

魂には実体がありませんから、その人に気づいて欲しい事や修正して欲しい事を直接伝える事が出来ません。

それ故に、様々な手段で伝えようとしています。

ただ、何も判らない人間からすれば、「不思議な出来事だった」となるのです。

それでもう一歩踏み込んで、何でそう感じたのか、何でそう見えたのか、突き詰めていこうとする意志を持たなければならないのです。

自分で考えても判らなければ、周りの人に聞いてみるという事も一つの手段です。

その人が判らなくても、誰か判る人へ繋いでもらえるかもしれません。

理由や意味が判れば、それに従っていくのです。

追い詰められているのならば、それを打破する方法を考えれば良し。

怨み・辛みがダメだと言われているのなら、そういう感情を抱かないように自分を変える努力をすれば良し。

せっかく教えてもらっているのですから、素直にそれを受け取れるように。

それが未来さえも変えていく可能性があるのです。