【東京国立近代美術館】
⽣誕120年

「棟⽅志功展」

メイキング・オブ・ムナカタ
会期:2023年10月6日(金)ー12月3日(日)

 

 

先月でしたが、行ってきました走る人

「世界のムナカタ」として国際的な評価を得た版画家・棟方志功(1903-1975)の展覧会です。

 

棟方が居住し、創作の拠点とした青森、東京、富山の三つの地域は、芸術家としての棟方の形成に大きな影響を与えました。

棟方の生誕120年を記念し、各地域の美術館で開催。最後の場所が今回の”東京国立近代美術館”です。

―故郷・青森

―芸術活動の中心地・東京

―疎開先・富山

 

展覧会も、故郷・青森から出発です~👟

 

※画像は撮影OK作品。作品内容は公式HPなどを参考にしています。

プロローグ:出発地・青森

 

⇩《八甲田山麓図》1924年 青森県立美術館

⇩《雪国風景図》1924年 青森県立美術館

↑青森時代の貴重な油画。版画のイメージが強い棟方ですが、ゴッホの「向日葵」に感銘を受け、はじめは油彩画家を目指していました。ゴッホやセザンヌなどを積極的に学んでいたことがわかる作品。

 

 

Ⅰ:東京の青森人

 

⇩《星座の花嫁》1928–30年(1931年摺)

南砺市立福光美術館

↑元は油彩画家を目指して上京した棟方ですが、川上澄生の作品に魅了され、徐々に版画を制作するようになります。《星座の花嫁》は初期の版画作品。色使いと画風にハート下段「貴女行路」の外枠の文字にも注目目です。

 

⇩《十和田・奥入瀬C》1932年

棟方志功記念館

↑奥入瀬渓流を描いた連作の1点。当初、川上澄生の模倣のような作風から抜け出せずにいましたが、次第に単純化、抽象化した独自の作風を生み出していきます。

 

⇩《大和し美し》1936年 日本民藝館

↑日本神話への関心が高まった頃の作品で、棟方志功と民藝運動との運命的な出会いのきっかけとなった作品。長大です目

サイズ超過による国画会展での陳列拒否騒動から一転、偶然、工芸部審査員の濱田庄司と柳宗悦の目に留まり民藝運動との出会いにつながりました。

棟方作品の特徴のひとつが、素材や技法、主題や表具などに現れる民藝的要素。この出会いが運命だったといえるエピソードです。

 

⇩《華厳譜(旧刻)》1936年 日本民藝館

↑棟方にとって最初の宗教モチーフ作品が《華厳譜》。 民藝運動との関わりがもたらした作品のひとつ。

 

⇩《華厳譜》1936年(1938年摺)

棟方志功記念館

↑棟方版画の特色である裏彩色は、民藝の祖・柳宗悦の提言によるもの。墨線は鮮やかなまま柔らかで美しい色彩を出せる技法は、版画表現に広がりを与えていきます。

 

⇩《東北経鬼門譜》1937年 日本民藝館

↑六曲一双の屏風装、約10m。東北の飢饉の悲惨な有様を表現した佐藤一英の詩をテーマとした作品。

☝の写真ではわかりにくいですが、左右の屏風の中央に鬼門仏が置かれ、仏が自分の身を削って衆生を救う姿が表わされています。故郷の土地のうけた宿命を、仏の力をかりて幸せにしたいという願いが込められている作品。

 

⇩《二菩薩釈迦十大弟子》1939年(1948年改刻) 

東京国立近代美術館

↑ヴェネチア・ビエンナーレ受賞作。実際に出品された屏風仕立ての戦後の摺り

戦火により二菩薩像の版木が焼失したため、戦後に二菩薩を改刻している。☝は戦後の改刻。

今回の展覧会の、途中から”日本民藝館蔵の戦前の摺り”が展示されています。

 

⇩《門舞男女神人頌》1941年 個人蔵

↑古事記に登場する日本武尊以前の神々16人の像を、敬愛する恩人に重ねて描いた作品。この作品は、出品された国画会展で東京府美術館の高い天井を壁一面を二段掛けで埋め尽くしました。その時の展示写真も展示されており、当時を再現するような展示でした。

 

⇩《幾利壽當頌耶蘇十二使徒屏風》1953年

五島美術館

↑高さ3m、幅1.8mの天井の高さまである巨大な屏風。約60年ぶりの展示!!

第9回日展に出品された屏風。仏弟子や神像を題材にしてきた棟方が戦後取り組んだのがキリスト教の十二使徒のモチーフでした。白黒の衣が交互に振り分けられ、ポーズは一対の配置。このサイズは日展の出品規定の最大のサイズに仕立てている。

 

⇩《基督の柵 (茶掛十二ヶ月板画柵・十二月)》

1956年 日本民藝館

↑柳宗悦が棟方作品で最も高い評価を与え、自ら特別な表装を施した。阿弥陀如来の光背をイメージし、十字架を表現するなど、柳の熱意が感じられる作品。陶軸は陶芸家・河井武一の作。

柳と棟方、そして民藝運動との関わりが強く、印象に残った作品でしたおねがい

 

 

Ⅱ:暮らし・信仰・風土ー富山・福光

 

⇩《慈潤》1945年 日本民藝館

↑戦中の1945年から戦後にかけ、棟方は富山県福光町(現・南砺市)に疎開する。資材不足で版木が入手困難な状況だったことから、この時期、倭画(肉筆画)、書の仕事が増えたのだそう。この作品は、福光時代の棟方の書で、柳による表装です。

 

⇩《華厳松》1944年 躅飛山光徳寺

↑《華厳松》は疎開の一年前、光徳寺の依頼をうけて制作された襖絵で、通常は光徳寺内の展示に限定され、寺外ではなかなか公開されてこなかった作品。

堂々たる松の大樹を墨の飛沫やぼかしで表現。棟方はこの描き方を、光徳寺の裏山に咲くツツジにちなんで「躅飛飛沫隅暈描法」と名付けたそうです。

 

↓通常は非公開の裏面、《稲電・牡丹・芍薬図》も展示。大胆な稲妻の表現と点描を交えかわいらしく描かれた花々は、表面とは対照的な色彩表現が印象的です。

 

⇩《稲電・牡丹・芍薬図》1944年 躅飛山光徳寺(部分)

 

⇩《群鯉魚図》1944年頃 個人蔵

↑5匹の鯉が重なり合いながら泳いでいる。赤色と青色の鯉の並びや方向に変化が付けられ、色彩や構成が工夫されている。

けっこう好きでしたチュー

 

⇩《女人観世音板画柵》1949年 日本民藝館

↑岡本かの子の詩「女人ぼさつ」がモチーフ。文字と絵の組み合わせを様々に試みた作品。

 

⇩《鐘溪頌》1945年 日本民藝館

↑戦後、福光で終戦を迎え、最初に手掛けた大作。河井寬次郎の京都五条坂の鐘渓窯から名づけられた作品。

 

白黒の市松模様になるように人物を配置し、裏彩色と表具も群青と代赭(たいしゃ)の2色交互に配色。この作品で棟方は、輪郭線を残して白い身体を彫るのではなく、黒地の体に白く体の輪郭線を彫ることを試みる。最小限の線で表した足や胸の表現は、棟方の大きな転機となりました。 

ヴェネチア・ビエンナーレ出品作品の1つ。

なんかいいわあ~気づきと思って、印象に残った作品でしたキョロキョロ

 

 

Ⅲ:東京/青森の国際人

 

⇩《谷崎歌々板画柵(左隻)》1956年 棟方志功記念館

↑谷崎潤一郎が自選した短歌を版画にしたもの。それまで丸刀を使用していたのに対しノミなど別の刀も多用して細やかで多彩な表現を生み出していく。細雪を思わせる華やかな姉妹像や仏の姿で表現された人工衛星など、想像力に富んだ作品。

 

⇩《弁財天妃の柵》1965年(1974年摺)

棟方志功記念館

↑このような「大首絵」と呼ばれる「豊かな頬をもった丸顔の、目の大きい、おちょぼ口の女性の顔」の美人画は、切手や包装紙などに採用されデザイン化されています。棟方は頼まれれば気軽に包装紙のデザインを引き受けていたそうです。

 

※日の出製菓(富山)、勝烈庵(神奈川)、亀井堂本家(兵庫)の包装紙なども展示~

本の表紙も~

谷崎潤一郎「鍵」~

 

デザイナーですねキラキラ

 

⇩《湧然する女者達々》1953年 (1955年摺)

公益財団法人 岡田文化財団パラミタミュージアム

↑戦後、棟方は国際展で相次いで受賞、評価が高まっていきます。この作品は、サンパウロ・ビエンナーレでは人物の向きを縦に、ヴェネチア・ビエンナーレでは横に変更させて出品したというエピソードがある作品です。

 

⇩《ホイットマン詩集抜粋の柵》

1959年 (7のみ1961年摺) 棟方志功記念館

🔍”Perfections”の柵

↑アメリカの詩人ウォルト・ホイットマンの詩集『草の葉』から抜粋して作品化したもの。 鮮やかな裏彩色に英字の直線的な配列がオシャレ!!な作品です。

☝作品の、末尾の「SOUL.」のSが裏返しになっていることがわかりますが、よく見ると、さらに複数形の「S」を下から矢印で付け加えられていて、棟方の”面白さ”が見えます爆  笑

 

⇩《花矢の柵》1961年 青森県立美術館

↑青森県新庁舎(谷口吉郎設計による)の正面入口を飾る壁画として制作された。

日本の文化がこれまで南→北へと向かっていくことが多かったことに対し、これからは北(青森)→南へと吹き返したいと、郷土・青森県の発展を祈願した大作。

この頃から、青森を題材にした作品を数多く制作するようになっていきます。

 

⇩《飛神の柵》1968年 棟方志功記念館

↑東北地方で養蚕や農業の神として広く信仰される御志羅さまが題材。 鮮やかな赤で彩色された背景に一対の御志羅さまが飛遊する姿が描かれている。 故郷の豊穣と幸福を祈って制作された作品。

 

⇩《大印度の花の柵》1972年 青森県立美術館

↑かつてゴッホの🌻の絵に憧れた"棟方少年"が、ついにゴッホの向日葵の壺の中に入り込んで「ゴッホになった」! 作品。

 

 

Ⅳ:生き続けるムナカタ・イメージ

 

⇩《自画像》1964年

公益財団法人岡田文化財団パラミタミュージアム

↑棟方は自画像・自板像(板画による自画像)を数多く残している。

 

棟方のトレードマーク👓~。時代によってフレームを変えていたそう。お洒落だね!

彫刻刀~

 

眼鏡や、彫刻刀、双眼鏡…実際に使用していた愛用品の数々も展示されています。

 

展示されていた写真には、彫刻刀を持ち、版木すれすれに顔を近づけて制作する姿、トレードマークの分厚い丸眼鏡の棟方の笑っている表情がありましたニコニコ

 


スタースター

”棟⽅志功”といえば、版画の・・・、そして年末に企業が配るカレンダー(←昔の風習)の・・・という記憶で、イメージするものはあったのですが、はっきりよく知らなかった芸術家。

どこからこういう作風になっていったのか、何が影響していた人なのか、興味深いものがありました。

 

自分が小さい頃、あまり興味なく、どちらかというとちょっと・・・だった”棟方志功”。

代表作も見ることができ、一連の流れから、棟方の人生や作品の基になっていることに触れ、棟方志功の青森への強い思いと、スケールの大きさを感じました。

 

ちょっと好きになったかも~飛び出すハート(←へへ、単純汗)

目に留まることになりそうです。

 

今回一番見たかった、縦3メートルの巨大な屏風《幾利壽當頌耶蘇十二使徒屏風》(五島美術館蔵)を見ることができて大満足おねがい

そしてこの作品が、今回約60年ぶりの展示だったことを考えると、えっ次は・・・私もう見れないかも!? と思ってしまいました💦

 

板画(はんが)、倭画(やまとが)、油画(あぶらが)といった様々なジャンルの作品と、晩年のメディアへの活動など、多くの作品を一度に見ることができる展覧会でした。

「板の声を聞き、

板の命を活かした棟方志功の世界」

見応えありました。行ってよかったですバイバイ

 

12月3日(日)まで。

 

(2023/10 撮影)