【国立西洋美術館】
パリ ポンピドゥーセンター
「キュビスム展—美の革命」
ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ
2023年10月3日(火)ー2024年1月28日(日)
行ってきました。
かなり時間が経ってしまいました
現在も開催中の「キュビスム展」です。
50年ぶり!大キュビスム展!です。
本場パリ・ポンピドゥーセンターから、日本初出品50点以上を含む約140点が展示されています。
20世紀初頭、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックという2人の芸術家によって生み出されたキュビスム。その名称は、1908年にブラックの風景画が「キューブ(立方体)」と評されたことに由来します。
※画像は撮影OK作品から。作品内容は公式HPなどを参考にしています。
この展覧会は、全部で14章で構成されています。
前半は、ポール・セザンヌ(1839-1906)やアンリ・ルソーの絵画、アフリカの彫刻などキュビスムの多様な源泉を探る「キュビスムの起源」から始まります。
ピカソ(1881-1973)とブラック(1882-1963)の2人によって全く新しい絵画が生まれた軌跡を辿っています。
多くの画家たちに影響を与えたセザンヌの作品から~
⇩ポール・セザンヌ《ポントワーズの橋と堰》
1881年 国立西洋美術館 ※東京会場のみ
↑1895年にパリで最初の個展が開催されて以来、セザンヌの絵画は若い芸術家たちの指針となっていきます。特に没後の1907年のサロン・ドートンヌのセザンヌ大回顧展は、キュビスムに向かう多くの画家たちに影響を与えました。
セザンヌは、移ろう自然の外観をありのまま描くのではなく、建物を幾何学的な形態や彩色を一定の方向性に変化させる手法など、ブラックらのキュビスム絵画に引き継がれていきました。
確かに、キュビスムっぽい彫刻たち~
⇩制作者不詳《バンバラの小像(マリ)》
1850–1900年
⇩制作者不詳 制作年不詳
《ヨンベあるいはウォヨの呪物(コンゴ民主共和国)》
キュビスムといえば・・・の、
二人の作品が続きます~。
撮影可能なブラックの作品が多くあって、個人的には、嬉しかったエリアです
⇩パブロ・ピカソ《女性の胸像》1907年6-7月
↑アフリカ等の造形物に影響を受け、当時制作中だった《アヴィニョンの娘たち》を完成させます。その習作の一点といわれる作品。
まだ、はっきりしていますね。
縦長の顔や尖った鼻、顔の周りに光が放たれているところが印象に残りました
⇩ジョルジュ・ブラック《大きな裸婦》
1907年冬-1908年6月
↑西洋の伝統的な美の常識をまるで無視したピカソの大胆な裸婦像に衝撃を受け、自らも裸婦像を描きました。
⇩ジョルジュ・ブラック《レスタックの高架橋》
1908年初頭
↑セザンヌっぽい!と思ったら、、
南仏の町レスタックはセザンヌゆかりの地で、ブラックは繰り返し訪れ、この土地の風景を多く残しました。
1907年のセザンヌ回顧展を訪れており、それまで以上に強く感銘を受けたブラックが、翌年1908年に完成させた作品。幾何学的な形態を新たな表現としていきました。
家がキューブのようで、遠くのものも近くに描き、平面的。
まだまだ、ピカソとブラック続きます~
段々、人物の存在がわからなくなっていきます。。
⇩パブロ・ピカソ《肘掛け椅子に座る女性》
1910年
↑多数の視点から見た現実を、分解するように断片化して再構成するというキュビズムの特徴を表している作品。
形態を単純化して描くなど、新たな表現を追求していきました。
⇩パブロ・ピカソ《ヴァイオリン》1914年
⇩ジョルジュ・ブラック 1910年秋
《レスタックのリオ・ティントの工場》
↑↓色も地味め。色々な視点から見たものを平面化していきます。
⇩ジョルジュ・ブラック 1914年春
《ギターを持つ男性》
↑紙の切り貼りをしたよう。真ん中にギター、茶色の所は、おが屑を使い、質感までも表現しています。
新聞やトランプ、ギターが題材の作品が結構いつも好きです
⇩マリー・ローランサン 1909年
《アポリネールとその友人たち(第2ヴァージョン)》
↑グレーや淡いパステル調の色彩で知られるローランサンですが、以前はこういう作品だったのね、、という作品。
ローランサンは、同じ画塾の友人だったブラックの紹介で、1907年頃から、ピカソが住むモンマルトルの共同アトリエ「洗濯船」に出入りするようになりました。
彼女は、アフリカやオセアニアの美術、ピカソやマティス、ルソーらの表現を学び、平面的で簡路化された独自の人物表現を確立しました。
この作品は「洗濯船」で出会った仲間たちを描いた集団肖像画といわれています。
中央は当時恋人だった詩人のアポリネール、その右横にはピカソ、右下には青いワンピースはローランサン自身だそうです。
さて、後半では、
その後のキュビスムの展開に重要な役割を果たすフェルナン・レジェ、フアン・グリス、ロベールとソニア・ドローネーら主要画家たちと、
キュビスムを吸収しながら独自の作風を打ち立てていくマルク・シャガールら国際色豊かで個性的な芸術家たちが紹介されています。
⇩フェルナン・レジェ《婚礼》
1911-1912年
↑日本初出品!
はじめは印象派の影響受けていたレジェ。1907年のセザンヌ回顧展に感銘を受け、形態の幾何学化や単純化を進めていきました。
1907年のセザンヌ回顧展!って、いろんな人に影響を与えた展覧会だったのでしょう。至る所ででてきました🤔
この作品は、街中を行進する結婚式の行列👰
中央にピンクがかったドレス姿の花嫁とタキシード姿の花婿。人々の手や頭部の断片が二人を取り囲んでいる構図。結婚式の活気ある様子を伝えています。
と、言われるとそう見えてきます
まだまだ、わからない作品も~
⇩フェルナン・レジェ《形態のコントラスト》
1913年
⇩フアン・グリス《ギター》1913年5月
⇩フアン・グリス《ヴァイオリンとグラス》
1913年
↑スペイン生まれ。同郷のピカソが住む「洗濯船」を拠点としたグリス。ピカソやブラックを吸収し、鮮やかな色彩を特徴とするキュビズムを展開していきました。
カラフルな色彩のグリス作品好きでした
⇩ロベール・ドローネー
《パリ市》1910–1912年
↑超大作。ひときわ大きな作品です!
日本初出品!
画面の左右にはパリの町とエッフェル塔、中央には古典的な三美神を思わせる裸婦が描かれています。
女性たちは踊っているのでしょうか。少し動きを感じる絵
エッフェル塔はロベール自身の作品の引用でもあり、左側の船と橋は、敬愛するアンリ・ルソーの自画像から取られたものだそうです。
⇩ロベール・ドローネー《円形、太陽 no.2》
1912–1913年
日本初出品!
この作品は、太陽や月といった天体にまつわる<円形>連作のうちの一点で、太陽の光そのものが、円環状に並べられた鮮やかな色面によって表されています。
妻のソニア・ドローネーと共に、抽象を先駆する新境地を開きました。
ソニア・ドローネーの作品も近くに並べられていましたが、色彩などが、似てたかな
⇩レイモン・デュシャン = ヴィヨン
《恋人たち II 》1913年
↑元は医学を学んだというデュシャン = ヴィヨン。1900年頃から独学で彫刻を始めます。解剖学の観点に基づきつつ、身体の幾何学な抽象へと向かっていきました。
躍動感あふれる男女が顔を寄せ合う姿です。
⇩フランティシェク・クプカ《色面の構成》
1910–1911年
↑クプカは、世紀末のプラハとウィーンで絵画を学び、象徴主義や神秘主義に影響を受け、後にパリに移った後は、生理学や色彩論など様々な知識を吸収しながら制作を続けていきました。
日本初出品!
女性がポーズしている姿。色面が連なっていることで、ポーズの動きや異なる時間を感じさせ、1枚の絵の中に、動きを感じる作品です。
この女性のシルエットは印象に残りました
↓こちらもクプカ!
⇩フランティシェク・クプカ《挨拶》1912年
⇩コンスタンティン・ブランクーシ
《眠れるミューズ》1910年
↑日本初出品!
ブランクーシは、ルーマニア出身。パリで学んだ後、一時期ロダンの工房で働きました。
しかし1908年頃には、原型を粘土で制作する伝統的な塑造の方法から、木や石といった素材の質感を生かす「直彫り」へと転じていきます。
そして、彼が住んだモンパルナスなどに集うキュビスム周辺の芸術家たちと交流しながら独自の表現を追求していきました。
この作品は、大理石に彫られた彫刻をもとに制作された5点のブロンズのうちの一点。
美しい卵形の頭部~わずかな凹凸による髪や目鼻~。ブランクーシの抽象的で単純化された造形です。
⇩マルク・シャガール 1911年
⇅ロシア(現ベラルーシ)出身のフランスの画家。幾何学的に断片化された表現やドローネの鮮やかな色彩を自分の表現に取り入れています。
⇩マルク・シャガール《キュビスムの風景》
1919–1920年
⇩アメデオ・モディリアーニ《女性の頭部》
1912年
↑イタリア出身のモディリアーニ。フィレンツェとヴェネツイアで学び、1906年にパリへ。 はじめはモンマルトルに住み、ピカソら「洗濯船」の芸術家たちと交友しますが、1909年にはモンパルナスへ移り、集合アトリエ「ラ・リュッシュ」に身を寄せます。
この頃からブランクーシと交流する中で、石彫りによる彫刻制作に没頭。 キュビスムやアフリカ美術、古典古代の様々な様式を吸収していき、このようなシンメトリーな細長いフォルムを特徴とする人物像を生み出しました。
↓こちらも、モディリアーニ。
その後、経済的問題や健康上の理由などから1915年頃には絵画に専念しますが、アーモンド形の目を持つ単純化された頭部像の表現は、絵画にも受け継がれました。
⇩アメデオ・モディリアーニ《赤い頭部》
1915年
↓の2点も印象に残った作品でした
⇩レオポルド・シュルヴァージュ
《エッティンゲン男爵夫人》1917年
↑故郷はモスクワのシュルヴァージュ。その後パリへ。
中央には、ウクライナとポーランドに出自を持つ男爵夫人エレーヌ・エッティンゲンを描き、彼女が鎮座する室内と、エッフェル塔などの都市風景との融合が表わされている作品。
↓一方、画家でもあったエレーヌ・エッティンゲンの作品。この中には、彼女自身と自身を取り巻く芸術家たちの顔を描いた肖像画であるとも指摘されています。
⇩エレーヌ・エッティンゲン《無題》
1920年頃
最後は、第一次世界大戦(1914年7月~1918年11月)という未曽有の惨事を経て、キュビスムを乗り超えようとするル・コルビュジエらのピュリスム(純粋主義)や、合理性を重視する機械美学が台頭してくるまでの展覧です。
⇩フアン・グリス《朝の食卓》1915年10月
↑前の会場でも数点展示がありましたが、こちらにも。
スペイン出身のグリスは、ピカソやブラックを吸収し、鮮やかな色彩のキュビスムを展開していきました。
この作品には、コーヒーポットやグラス、新聞紙などの断片化されたモティーフが、卓上に重なり合うように並べられ、背後には、青空がのぞく窓。
外部と内部をつなぐ開かれた窓は、南仏の町コリウールに滞在した際に親交を深めたアンリ・マティスが好んで描いたモティーフ。
⇩マリア・ブランシャール
《輪を持つ子供》1917年
↑スペイン出身の女性画家ブランシャールは、パリ滞在中、グリスなどと交流をもっていました。かつてこの作品は、中央の人物は、鎧姿のジャンヌ・ダルク像と見なされましたが、現在は、描かれている文字などから子供に向けたものと解釈されており、画家が度々描いた輪を持つ少女と考えられています。
見た時一部が”和”の文様にも見えました
~第一次世界大戦(1914年7月~1918年11月)後の、ブラックとピカソの作品。
大戦後「秩序への回帰」と呼ばれる保守的風潮の中で変化を遂げていき、伝統的な技法である絵画に専念するとともに、古典的な主題へと向かいました。
↓平坦なキュビスム的に表された少女の背景には鏡の縁が見えます。
⇩パブロ・ピカソ《輪を持つ少女》
1919年春
⇩ジョルジュ・ブラック《ギターと果物皿》
1919年
⇩ル・コルビュジエ《静物》1922年
↑スイス生まれ。建築事務所で働いた後、パリに拠点を移す。知り合ったオザンファンと共に発表した共著『キュビスム以後』で「ピュリスム」を提唱。
簡素な構図を特徴とする静物画を描き、対象とするモティーフは、ワインボトルや食器、パイプや本のような身の回りの日用品。ギターやバイオリンなどの楽器。
最後は、”国立西洋美術館”らしく、ル・コルビュジエの作品です
ずいぶん時間が経ってしまいましたが、作品も多くあり、ダラダラしていたらこんな開催終了する時期の投稿になってしまいました
ピカソとブラックの作品は多く出品されるとは思っていたけれど、「キュビスムの起源」としてアフリカの彫刻から紹介されていたのは、興味深いものでした。
キュビスム初期から晩年まで、わかりやすく並んでいる展示。
日本初出品も多くあり、キュビスム作品を数多く収蔵している、パリのポンピドゥーセンターからの名品がやって来ています!
『キュビスム展』は国立西洋美術館にて、2024年1月28日(日)まで。
キュビスムってよくわからないけど何か気になる、、、という方もぜひ
ボリュームもあって、見応えありました
巡回展
京都市京セラ美術館【京都府】
2024年3月20日(水)〜7月7日(日)
(2023/11撮影)