【宮川香山 眞葛ミュージアム】
常設展

 

 

 

以前から興味があったこちらのミュージアムへ先月行ってきました。

横浜駅から少し歩きます走る人

 

☆宮川香山と眞葛焼とは~

 

初代宮川香山は、

1842年(天保13年)京都真葛ヶ原の代々やきものを生業とする家庭に生まれる。

1870年(明治3年)29歳のとき、薩摩藩御用達 梅田半之助の勧めにより、輸出向けの陶磁器を製造するため、横浜へ。

1871年(明治4年)横浜太田村字富士山下に眞葛窯を開窯。

 

1876年(明治9年)フィラデルフィア万国博覧会に出品された眞葛焼は絶賛され、”眞葛焼と宮川香山”の名は世界に知れ渡る。

その後、フランス、アメリカ、イギリスなど各地の万国博覧会で輝かしい受賞を重ねる。

1916年(大正5年)死去。享年75。

 

その後、宮川香山の眞葛焼は、二代、三代と引き継がれます。しかし1945年(昭和20年)横浜大空襲により壊滅的な被害を受け、窯は閉鎖。四代目香山による復興もむなしく、その歴史の幕は閉じられました。

「幻のやきもの」といわれる所以です。

 

 

~~展示室~~

※画像は撮影OK作品です。
 

⇩《崖二鷹花瓶 一対》初代宮川香山

1876頃~1882年頃

 

⇩《高浮彫葛二山鴨花瓶》初代宮川香山

1876頃~1882年頃

↑初展示作品。

 

⇩《美人鰓斉杜若画花生》初代宮川香山

1899年頃 他3点

 

⇩《琅玕釉蟹付花瓶》初代宮川香山 遺作

1916年頃

↑1916年にこの世を去った初代宮川香山の遺作。最後にたどりついた美。

 

二代香山によると「故人は西洋向けのけばけばしいものよりも、日本向けの沈んだ雅致に富んだ物の方が得手のようでした」と回想している。

 

 

初代宮川香山は海外への輸出用に陶磁器を製作する傍ら、国内向けにも”仁清・乾山写し”の作品を生涯制作し続けたそうです。

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↑江戸時代を代表する、野々村仁清や尾形乾山の先人に学ぶという考えの下で、真似るだけでなく、独自の解釈や魅力を加え作り上げていきました。

 

⇩《学明製青華之図》初代宮川香山

1915年12月頃

↑初代香山が亡くなる半年前に描かれた作品。中国、明の時代の「青華」を製造する窯場の様子を生き生きと描いている。

 

⇩《七宝筒形灯籠鳩細工桜》初代宮川香山

1876頃~1882年頃

 

⇩《青華菖蒲画花瓶》初代宮川香山(黄色地に青の菖蒲) など

1887頃~1916年頃

 

⇩《狸亭》初代宮川香山 1913年

↑狸の筆洗いや徳利など置物。姿や表情が可愛らしいラブラブ

 

⇩《釉下彩黄釉菖蒲大花瓶》初代宮川香山

1887頃~1916年頃

 

⇩《崖二鷹大花瓶(一対のうち)》初代宮川香山

1876頃~1882年頃

 

⇩左《水辺二鳥細工花瓶》 右《猫二花細工花瓶》

初代宮川香山 1876頃~1882年頃

 

⇩《花二鳥細工楽図飾皿》初代宮川香山

1876頃~1882年頃

 

⇩《青華竹画大花瓶》初代宮川香山

1887頃~1916年頃

 

⇩左《洋紅釉獅子付花瓶》1887頃~1916年頃

右《仁清意春日龍神 置物》1916年[最晩年]

初代宮川香山

↑初展示作品。

 

⇩《美人画花瓶》初代宮川香山

1887頃~1916年頃

 

 

超絶技巧の立体的な作品も素晴らしいけれど、釉下彩のやさしい色彩も恋の矢

今まで”初代宮川香山”の作品で見たことがなかった落ち着いた感じの仁清写しなどの作品も好きでした。

 

展示室自体は小さいですが、鏡があって裏側もよく見え、360度スター作品を観ることができます。

 

好きな造形がたくさんあり、2回廻ってきました。

ぜひバイバイ

 

 

 

土曜日、日曜日のみが開館!!です。

詳しくは公式サイトで確認して下さいねバイバイ

(2023/9 撮影)

↓公式サイト