【東京都美術館】
「永遠の都ローマ展」
会期:2023年9月16日(土)ー12月10日(日)

 

 

行ってきました走る人

 

イタリア・ローマ展-

 

永遠の都、二千年の美をめぐる
建国神話にはじまり、古代ローマ時代の栄光、芸術の最盛期を迎えたルネサンスからバロック、そして芸術家たちの憧れの地となった17世紀以降の時代まで、「永遠の都」ローマをめぐり生み出された壮大なる美の歴史をたどる展覧会。

 

必見!カピトリーノ美術館のコレクション
教皇のコレクションを核に設立。1734年に一般公開が始まったカピトリーノ美術館は、世界的で最も歴史の古い美術館の一つ。
そのコレクションの名品など、約70点です。
 
~展示室~5章から構成~
※画像は撮影OK作品やチラシから。作品内容は公式HPなどを参考にしています。
◆第1章 ローマ建国神話の創造
 
最初に迎えてくれた作品~
 
⇩《カピトリーノの牝狼(複製)》20世紀(原作は前5世紀)
ローマ市庁舎蔵
↑ローマのシンボルともいえる作品。
乳を飲む双子の彫像が付け加えられた《カピトリーノの牝狼(複製)》。
 
軍神マルスと巫女レア・シルウィアの間に生まれた双子のロムルスとレムス。ローマを建国する2人は、牝狼に育てられたと伝わっている。
 
 

◆第2章 古代ローマ帝国の栄光

 

古代ローマ帝国は、前1世紀、ユリウス・カエサルとその遺志を継いだオクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)が礎を築き、続く数々の皇帝たちによって繁栄していく。

この章では、歴代ローマ皇帝の肖像をはじめ、ローマ帝国ゆかりの女性たちの肖像などが並び、加えて、帝国の栄華を象徴する《コンスタンティヌス帝の巨像》の一部が原寸大複製で展示。

 

コンスタンティヌス帝は、キリスト教を公認し、330年には帝国の首都をローマから古都ビザンティウムへと遷都したことなどで知られ、この作品は、こけた頬、厳格な目の下の涙袋、口元の皺から、晩年の皇帝の姿であると考えられているそう。

 

《コンスタンティヌス帝の巨像の頭部(複製)》1930年代(原作は330-37年)
ローマ文明博物館蔵

↑頭部だけで約1.8メートル!迫力の巨大彫刻!

古代ローマ帝国の栄華を象徴するこの彫刻は、一部を原寸大で複製した作品。

 

⇩《コンスタンティヌス帝の巨像の左手(複製)》1996年(原作は330-37年)
ローマ文明博物館蔵

↑こちらも巨大

 

画像はありませんが、巨大なコンスタンティヌス帝の巨像の左足もありました!

すべて複製ですが、巨大な彫刻にはびっくりです目

カピトリーノ美術館誕生のきっかけにもなった重要な彫像の一つだそうです。

 

次の展示室へ向かうと

今回の展覧会の目玉目

 

古代彫刻の傑作《カピトリーノのヴィーナス》初来日! カピトリーノ美術館以外では滅多に見ることができない門外不出の作品です。

※東京展のみ展示

 

カピトリーノ美術館を離れるのは、1797年にナポレオン指揮下のフランス軍によりパリに持ち運ばれたときを含め今回が3度目。

貴重な機会です!

 

↓《カピトリーノのヴィーナス》2世紀 大理石

カピトリーノ美術館蔵

 

スター 360度 スターからカピトリーノのヴィーナスを鑑賞することができます。

 

古代ギリシャの偉大な彫刻家プラクシテレスの女神像(前4世紀)に基づく2世紀の作品。ヴィーナス像に典型的な恥じらいのポ~~ズ♪

身体の曲線と肌の質感は目

 

この展覧会では、カピトリーノ美術館の展示室を模して、八角形の空間で展示されており、床の模様はカンピドリオ広場をイメージしたもの。

360度鑑賞できる空間となっています。

 

ミロのヴィーナス(ルーヴル美術館)、メディチのヴィーナス(ウフィッツイ美術館)に並ぶ古代ヴィーナス像の傑作です。


 

◆第3章 美術館の誕生からミケランジェロによる広場構想

 

1471年、時の教皇シクストゥス4世は、教皇宮殿前に置かれていた《カピトリーノの牝狼》や《コンスタンティヌス帝の巨像》を含む古代ブロンズ彫刻4点を、ローマ市民に返還するという名目で寄贈し、カピトリーノの丘の中庭に設置しました。 

これが現在のカピトリーノ美術館コレクションの前身だそうです。

 

その後、16世紀に巨匠ミケランジェロがカピトリーノの丘の頂にカンピドリオ広場を建設するプロジェクトを手がけます。

現在の姿は、広場と建築群からなる美術館複合体は、都市ローマの壮麗さが体現されています。

 

この章では、美術館の起源からミケランジェロの都市計画までの展開を絵画、版画等を通して紹介されています。

 

トスカーナの画家(16世紀)

《ミケランジェロ・ブオナローティの肖像画》
1535年以降 カピトリーノ美術館蔵

 

ローマ派工房《ローマ教会の擬人像》
13世紀初頭 モザイク、石とガラスのテッセラ
ジョヴァンニ・バッラッコ古代彫刻美術館蔵

↑《教皇グレゴリウス9世の肖像モザイク》の2点とともに並べて展示されているモザイク。モザイクの輝きは美しいです乙女のトキメキ
 

エティエンヌ・デュペラック

《カンピドリオ広場の眺め》1569年 エッチング
ローマ美術館蔵

 

 

◆第4章 絵画館コレクション◆

 
1734年、教皇クレメンス12世により、おさめられていた膨大なコレクションが一般公開され、その後、1748年から1750年にかけて、教皇ベネディクトゥス14世の尽力により、イタリアの名家旧蔵の絵画コレクションが収集され、絵画館が設立されました。
公共美術館としての歴史の始まりです。

 

この章では、この絵画館コレクションより、 16世紀から18世紀に活躍した画家たちの作品を中心に紹介されています。

 

⇩ピエトロ・ダ・コルトーナ

《教皇ウルバヌス8世の肖像》1624-27年頃

カピトリーノ美術館 絵画館蔵

 
⇩カラヴァッジョ派の画家(17世紀前半)
《メロンをもつ若者(嗅覚の寓意)》1626-29年頃
カピトリーノ美術館 絵画館蔵
↑若者が、両手で支え持つメロンの香りをかぐ仕草。この作品は、オルレアン公フィリップ2世のコレクションに由来する「五感」を表す油彩画の部分コピーとされており、五感のうちの「嗅覚」を表している。
 
当時の芸術のパトロンたちがどのような絵画を好み、収集していたのか、当時のイタリアの画家たちを知ることができます。

 

 

◆第5章 芸術の都ローマへの憧れ―空想と現実のあわい◆

 
古代遺跡の宝庫である都市ローマの建築や装飾は、芸術家たちの自由な発想により、多くの傑作が生まれました。
この章では、古代記念碑「トラヤヌス帝記念柱」をモティーフとする版画や模型などが紹介されています。
 
⇩ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ
《トラヤヌス帝記念柱の正面全景》1774-75年
エッチング ローマ美術館蔵
 
 
唯一、撮影OKでした↓
☝の「トラヤヌス帝記念柱」側面の一部の複製が展示されています。
 
⇩モエシアの艦隊(トラヤヌス帝記念柱からの石膏複製)
1861-62年(原作は113年)
古色加工を施した石膏 ローマ文明博物館蔵

 

⇩デケバルスの自殺

(トラヤヌス帝記念柱からの石膏複製)

1861-62年(原作は113年)古色加工を施した石膏

ローマ文明博物館蔵

 
今にも人物が動いているかのような作品。見る方向により様々な場面を見ることができます!
 

⇩《マイナスを表わす浮彫の断片》
前1世紀末-後1世紀、ペンテリカス産大理石
カピトリーノ美術館蔵

↑曲線の美
 
⇩イッポリート・カッフィ《フォロ・ロマーノ》
1841年 油彩、紙からカンヴァスへ移行
ローマ美術館蔵
↑中央右寄りには、あのコロッセオ!北イタリア出身のイッポリート・カッフィは1832年にローマに移り住んだ後、生涯にわたりローマの眺望を数多く手がける。
実際見ると、写真みたいです目
 
 
◆特集展示 カピトリーノ美術館と日本◆

 

カピトリーノ美術館は、日本とゆかりの深い美術館。

ちょうど150年前にあたる1873年、明治政府が欧米に派遣した岩倉使節団がカピトリーノ美術館を訪れましたびっくり

この彼らの視察や経験が、日本の博物館政策や美術教育にも影響を与えることになります。

 

1876年に日本最初の美術教育機関として工学寮美術校(のちの工部美術学校)が設置され、指導教材として、イタリア各地の施設が所有していた古代彫刻が日本に持ち込まれました。

そのなかに、カピトリーノ美術館と日本の交流がわかる版画やパネル、石膏像が、最後の展示場所では紹介されています。

 

画像はありませんが、

〇小栗令裕《欧州婦人アリアンヌ半身》1879(明治12)年

東京大学大学院工学系研究科建築学専攻蔵

↑の石膏の女性が美しいラブラブ

 

オーナメント

日本の美術とローマ・カピトリーノ美術館がここまで深くかかわっていたとは指差し

 

展覧会の出品数は全体的に少なめ。

作品の解説があまりなかったので、逆に人が集中することなく流れていき、会場が広々としていたせいか、あまりストレスなく鑑賞できました。

私が行った時は、まだまだ人は少なめでした。

 

イタリアイタリア好きの私としては、ゆっくり読みたかったので図録購入~♪

まるで図鑑のような図録です。

 

最後のフォトスポット📸キラキラ

 

来年、福岡県に巡回します。

ぜひバイバイ

    

スター巡回展

福岡:福岡市美術館

会期:2024年1月5日(金)~ 3月10日(日)

 

(2023/10 撮影)