【東京都美術館】
「マティス展」
会期:2023年4月27日(木)-8月20日(日)

 

行ってきました走る人

 

=====

今回の見どころは↓

●約20年ぶりの開催!20世紀芸術の巨匠

アンリ・マティス(1869-1954年)の大回顧展。

●世界最大規模のマティスコレクションを誇る

パリ、ポンピドゥー・センターから名品約150点。

●"フォーヴィスム"の夜明け、

マティス初期の傑作

《豪奢、静寂、逸楽》日本初公開。=====

 

 

今回1階のみ撮影OKエリアでしたニコニコ

※画像は撮影OK作品、チラシやハガキから。作品内容は公式HPなどを参考にしています。

 

では、展示室右差し

カラーパレットLBF(第1~第3章) ※撮影NG

1章:フォーヴィスムに向かって(1895–1909)

2章:ラディカルな探求の時代(1914–1918)
3章:並行する探求─彫刻と絵画(1913–1930)

 

下矢印《読書する女性》1895年 ※配布されていた新聞チラシ

⇧当時のパートナーで2年前に長女マルグリットを出産したキャロリーヌ・ジョブローがモデル。国民美術家協会に出品、国家買い上げとなった作品。

 

展示室に入ってすぐの場所にあった作品で、これマティスの?ハマスホイみたい?と意外な作品と思ったもの。マティス26歳の作品です。

 

下矢印《豪奢、静寂、逸楽》1904年

ポール・シニャックの招きでひと夏を南仏サントロペで過ごす。点描で描かれ、光に満ちた理想郷の風景を描いた作品。

 

色々よく見ると面白い点が。。一人一人の体勢は様々、実際よく考えるとあり得ないような空と海などの色。

右の木の枝がくるんと上向き。左端には”ヨガのポーズ”かな?みたいな人いるし、じっくり見ると面白い絵爆笑

 

点描画はこの一枚。この直後から、筆触を荒々しく変化させ「フォーヴィスム(野獣派)」と呼ばれる様式に進むことになった、、らしいです。

 

下矢印《豪奢I》1907年

⇧《豪奢、静寂、逸楽》に連なる作品として、3年後に描かれた風景。平面的な筆触と落ち着いた色調による新しい空間を構成。
 
この巨大な女性たちは、そもそも何をしているのかしら?何で裸で花束を?と、考えてもよくわからなかった作品。まっ、わからなくていいかっ!と思って記憶に残った作品でした。。こちらも面白い、不思議な絵です爆笑

 

下矢印《アルジェリアの女性》1909年

⇧1909年に訪れたベルリン美術館でアジア美術に触れ、エキゾチックな衣装をまとった女性の肖像画を手がけたのちに、この作品を描く。

後ろも唐草模様のような背景もその影響なのでしょうか。

 

※画像はありませんが、印象に残った作品

〇《横たわる裸婦Ⅰ》1907年 ブロンズ像。

〇《自画像》1900年 30歳の頃の作品。

セザンヌっぽい自画像。

 

下矢印《金魚鉢のある室内》1914年春

⇧セーヌ川に臨む窓のある”アトリエ”空間を描いた作品。画面の中央には、前年に滞在したモロッコの思い出である”金魚鉢”が描かれ、内と外の空間をつないでいることを感じる作品。44歳の作品。

 

この青で統一されたこの作品は、この展覧会の中でも、好きな作品でしたラブラブ

 

下矢印《コリウールのフランス窓》1914年9-10月

⇧1914年、第一次世界大戦勃発直後に描かれた作品。窓が黒く塗りつぶされ、内部なのか外部なのかどちらともいえないような描き方。

 

最近のいくつかのマティス展のTV📺番組で、この絵の黒の下にはうっすら”珊”が描かれていた痕があり、その上から黒く塗られていると。鑑賞する時には気付きませんでしたあせるが、他の作品とは違う印象をもった作品でした。

 

下矢印《白とバラ色の頭部》1914年秋 ※配布されていた新聞チラシ

⇧マティスが長女マルグリットを描いた30点ほどの肖像画の1点。幾何学形態に単純化された平面的な構成。マティス作品のなかでもキュビスムの影響が色濃い作品だと。

これを見た時、以前アーティゾン美術館で見た、マティスの《縞ジャケット》を思い出しました。同じ1914年作品でした。

画像の写りが悪いですが、実際のこの縦縞模様の作品は、以前と同様、印象に残りましたニコニコ

 

※画像はありませんが、印象に残った作品

〇《窓辺のヴァイオリン奏者》1918年春

《背中I–IV》1909–1930年 ブロンズ

(Ⅰ:1909年/Ⅱ:1913年/Ⅲ:1916–1917年/IV:1930年)

 

20年以上の月日をかけて4点が制作された等身大の女性像である「背中」

シリーズ化されたセットなのかと思ったら、4点の作品は別々の時代に制作されていたものでした。

 

年月を経るごとにマティスのフォルムに対する考えが変化するのがよく分かる作品で、この制作時期は、米バーンス・コレクションの有名な壁画《ダンス》に取り組んでいた頃に重なり関わっていることが指摘されているとの事。

 

マティスの絵画が彫刻と密接に関係していることは初めて知ったことで、そのため多くの彫刻作品があることも知りました。

 

「三次元の世界(彫刻)を、どう二次元の世界(絵画)に表現できるか」を考えていたマティス、とても興味深かった《背中》でした。

 

 

カラーパレット1F(第4章~第6章) ※撮影OK

4章:人物画と室内画(1918–1929)
5章:広がりと実験(1930–1937)
6章:ニースからヴァンスへ(1938–1948)
 
下矢印《ピアノの前の若いヴァイオリン奏者》1924–26年
 
⇩両方とも”自画像” ※左:1919年 右:1927年
⇧マティスは画家として生涯にわたって油彩やデッサンドローイングで多くの自画像を描いている。重要な人生の転換点に、よく自画像を描いていたようです。
 
下矢印《赤いキュロットのオダリスク》1921年秋

⇧”オダリスク”とは、ハーレムに仕えていた女性のこと。マティス51歳の時に発表。マティスが繰り返し描いた「オダリスク」最初の作品。装飾的空間にいかに違和感なくモデルを配置するかを実験した作品。
 
下矢印《ニースの室内、シエスタ》1922年1月頃
 
下矢印《石膏のある静物》1927年
石橋財団アーティゾン美術館蔵
⇧なんか可愛いなあと思って📸気づき
 
下矢印《緑色の食器戸棚と静物》1928年
⇧全体的に”赤色”が多いけれど、マティスの”青色”の作品が、目に留まりました。《金魚鉢のある室内》と同様、この作品も好きでしたラブラブ
 
下矢印《夢》1935年
⇧1954年のマティスの死まで傍らにいたリディア・デレクトルスカヤを描いた作品のひとつ。アトリエでのアシスタント、秘書、お気に入りのモデル。
くつろいだ休息する彼女の自然な体勢。65歳の作品。
 
下矢印《座るバラ色の裸婦》1935年4月–1936年
⇧上の作品と同じモデル。線を消したり、単純化といった操作の痕跡を残しながら、最終的に徹底した幾何学形態となる。65-66歳の作品。心の動き・手の動きも含めて芸術作品であると考えていた。
 
下矢印《貝殻のヴィーナス》1930年 ブロンズ
 
下矢印《ラ・フランス》1939年
ひろしま美術館蔵
 
下矢印《緑色の大理石のテーブルと静物》1941年9月
 
下矢印《マグノリアのある静物》1941年12月
⇧何十枚もの習作や関連するドローイングが存在するこの静物画は、同じような制作過程を経た一連の作品のひとつ。
 
下矢印《若い女性と白い毛皮の外套》1944年
グルノーブル美術館寄託
 
下矢印《黄色と青の室内》1946年
⇧ヴァンスに居て、最後の室内画シリーズを集中して描く。76歳の作品。この数年前、71歳の時に大病(十二指腸がん)を患う。
 
好きなモチーフである、肘掛け椅子や猫脚テーブルが描かれている。
左下の青にテーブル上の画、右上の青には窓の画を。違う視点の物が配置されているのに、その配置や色のバランスがとてもいいなあ~と思った作品。
 
下矢印《赤の大きな室内》1948年春
⇧1946年から1948年にかけて集中的に描かれた「ヴァンス室内画」シリーズの最後を締めくくる作品。マティスの色彩に関する仕事が凝縮された大作。78歳の作品。
 
絵画、テーブル、2枚の動物の皮が張り付いた敷物等、事物が対で配置されている。2枚の絵画も窓のように描かれた空間。
 
下矢印『芸術・文学雑誌ヴェルヴ』表紙デザイン
 
 
カラーパレット2F(第7~第8章) ※撮影NG
7章:切り紙絵と最晩年の作品(1931-1954)
8章:ヴァンス・ロザリオ礼拝堂(1948–1951)
 
切り紙絵は、さまざまな作風に挑戦してきたマティスの晩年にたどり着いた新たな世界。70歳を過ぎた頃、切り紙絵を本格的にし始め、大病(十二指腸がん)により自由に絵が描けなくなった身体のハンデを埋める表現方法だった。
 
下矢印《イカロス(版画シリーズ〈ジャズ〉より)》1947年

⇧この「色彩の本」は当初「サーカス」というタイトルが候補に挙げられており、これにまつわるモチーフも多くみられたが、最終的に「ジャズ」と題された。
マティスがこの音楽の即興性と活気に、切り紙絵の制作との類似を感じていたからといわれている。
 
下矢印《オレンジのあるヌード》1953年

⇧亡くなる前年に制作されたこの作品。最後の日々に制作された大型の切り紙絵のひとつで、筆で描いたドローイングに、色紙で作った3つのオレンジが付け加えられている。

 

 

キラキラキラキラスタースターキラキラキラキラスタースターキラキラキラキラ

 

最晩年にあたる1948年から1951年にかけて、マティスは、ヴァンス・ロザリオ礼拝堂のためのプロジェクトに関わっていく。ロザリオ礼拝堂に関する資料が展示されていました。

 

下矢印《上祭服[マケット]》1950–1952年

綿布で裏打ちした切り紙絵

⇧ヴァンスのロザリオ礼拝堂を完成させたのち、マティスは、典礼の種類に合わせた6色の上祭服をデザインした。その中で今回の展示では、ミサ、万聖節、聖金曜日での使用を想定した黒の上祭服が紹介されている。

 

展示室最後には、マティスが自身の集大成とした「ロザリオ礼拝堂」の内部を撮影した”4K映像”が流れていました。これは必見目

 

午前11時に差し込む冬の光、そして1日の礼拝堂内の光の移ろいが、巨大なスクリーンに映しだされています。とても美しい光景ですキラキラ

 

『ロザリオ礼拝堂』は、マティスが1つの礼拝堂の壁画・ステンドグラス・礼服まで全てをプロデュースした「総合芸術」

 

壁には、マティスの言葉がありました。

 

    

「この礼拝堂は、私の人生を賭けた仕事の到達点だ。

いまも続く探究の果てに、私が選んだのではなく、運命によって選ばれた仕事である」

 

アンリ・マティス 1951

 

 

マティスの、初期の頃から晩年に至るまで、各時代の代表的な作品により、その変遷がわかる展覧会でした。

以前からマティス作品は好きラブラブでしたが、ますます興味がわいてきました。

 

テーマに沿って色々な芸術家が揃う展覧会もよいですが、一人の芸術家のみの展覧会は特に良いです拍手

 

 

オーナメント最後に、ミュージアムショップ~音譜グッズのセンスがGood拍手

図録も表紙違いが3種類あったのには驚き。ただ購入したのは、結局いつものハガキ。。やっぱり買いすぎました汗うさぎ

↑こちらは展示なし。美術館入口ショップで購入。

 

(2023/5 撮影)