​一年前の10月

個人的に

120日の精誠条件を立て

過ごしました



マスコミ報道や

元信者達の証言


そして

教会本部からの

様々な情報すべてを

 シャットアウトして


『神様と私』


この関係だけを見つめ

いまの教団を

取り巻く環境の背景には

摂理的意味を含め

何があるのか


そして私自身は

今後どうすべきか

しっかりと

答えを出したかった



当初は今月の2日にでも

出されるのではないかと囁かれていた

世界平和統一家庭連合への解散請求命令が

いよいよ13日に提出されるとのこと


今の心境を嘘偽りなく述べるなら

不安に駆られたり

信仰が揺らいだり

反対する人達を恨んだり、なんて思いは

これっぽっちも無く


ただあるのは

どんな結果になろうと最終的には

神様の御意に叶った方向に導かれてゆく、

という確信だけがあるのみです 



『神の戦法は、先に打たれ奪い返す』



教団の歴史だけでなく

世界の歴史や現世界情勢をみても

“神の復帰摂理”という観点に

照らし合わせてみるとき

本当にその通りだということに

ここ最近になってやっと気付いた私


だからこそ

悲観的な考えは無いのです


むしろこれからは自らを正し

御旨に対して責任を持ち

恥ずかしくない生き方をしなければ、

という決意のみです



私個人の見解として、

宗教に迫害はつきものだとしても

迫害(批判含め) される要因の一つとして

教団にもその責任はあるということ


元信者さん達の証言は事実だし

(中には私でさえ判る嘘も多々ありましたが)

傷ついた人達がいるのも事実


それを”個人の信仰の問題”として

片付けてしまおうとするなら

神様はそれを許さないだろうし

そういう考えでいれば

更に私達を取り巻く環境は

厳しいものになっていくでしょう 


私達にも

悔い改めることは沢山あるのです



元信者さんと面識がなくとも

彼らが信仰を失くすに至った

経緯に想いを馳せて

その心に負った傷や悲しみ恨みに対し

“私の責任”という自覚を持ち

彼らの為に真摯に祈ることが

とても大切なことではないでしょうか



もう一つの側面として

天の摂理が大きく動くときには

その内容に比例したレベルの迫害が

必ず起きるという事実です


統一原理には

復帰摂理に関した内容があるのですが

それを理解していれば

『今の状況は起こるべくして起きている』

と捉えることもできるのです


真のお母様(韓鶴子史)の勝利圏と

真のお母様が日本の立場について

語った内容などをトータルに考えると

むしろ私は

早く国家レベルでの迫害が

起きないかと待ち望んでいたほどです

(姉に話したら怪訝な顔された)



昨年10月中頃から始めた

120日路程の最初の40日間に捧げた

精誠条件は以下の通り

①御言(経典)訓読

②敬拝

③祈祷

④水行(40杯)



色んな感情が湧き上がる日々、

精誠条件を捧げながら

神様に何度も尋ねたことは以下の通り


①『この道は本当に正しいのか』

②『真の御父母様は

ほんとうに人類の救世主なのか』

③『何故私達はこれ程までに叩かれるのか』



何日目かを過ぎたある日

祈ろうと思い目を閉じた瞬間、

突然脳裏にある光景が広がりました


それは、

イエス様が血を流しなら

重い十字架を背負って

ゴルゴタの丘をゆっくりと歩いていく姿と

押し寄せた群衆達が

イエス様に向かって石を投げたり

怒声や罵声浴びせている場面でした


群衆達の怒声や罵声が

地響きのように私の耳をつん裂き

あまりもそれはリアルな感覚で

それと同時に

罪人として処刑されてゆく

当時のイエス様の心情の一端が

私の心の中になだれ込んできて

胸をえぐりとられるような

なんとも言えない感情に包まれ

我知らず嗚咽してしまう

という体験をしました


その直後に

手元にあった真のお父様の自叙伝を

無造作に開いてみるとそこには

ダンベリー刑務所に収監される前後の

お父様の神様に対する心情と

私達信徒に対する願い、

そして収監後に起こるであろう

出来事について語られた

ページだったのです


改めて読み返してみると

いま私達が置かれている状況が

当時と似通っていることが分かり

と同時に

聖書のある聖句が心に浮かびました


それは『ヘブル人への手紙』12 : 4〜11


迫害のレベルこそ

イエス様や真の御父母様に比べたら

とっても小さなものだけれど

同じ道を歩まさせて戴いていると気づき

この迫害すらも天の恵みかもしれないと

感謝の思いでいっぱいになりました



日々、原理講論や

経典を訓読する中で

2000年以降の世の中が

真の御父母様が1990年代に

語っていた内容通りになっている事に

気づけたのも大きかった



私自身は

立派な信仰者ではありませんが

精誠条件を捧げるなかで

誰がなんと言おうと

神様は実在するし

真の御父母様は救世主だという

確信を得たので

生涯を賭けて御旨の道を歩むという

決意表明をここに記します



三年後、

このブログを読み返したときに

恥ずかしくない自分でいたい






🌸koyuki🌸